教育福島0161号(1992年(H04)02月)-023page
で、忍耐強く練習しなければならない。お互いに何秒できるか数え合ったり、補助し合ったりしているうちに教え合い、励まし合える友だち関係が育っている。運動の得意な子もそうでない子も楽しそうに自分の力を伸ばしている。
今年もまた、寒さ厳しい冬を迎えた。
今朝は、霜が降り、プールに氷が張ってとても寒かった。それでも子どもたちは、はだしになって、音楽に合わせ元気良く校庭を走った。
(白河市立関辺小学校教諭)
私の楽しみ
斎藤聖
ここ六、七年、岩魚釣りに夢中になっている。釣りの時だけは、朝も苦にならない。目覚まし時計のベルが鳴るか鳴らないうちに起き、足音を立てないようにして静かに家を出、仲間とおち合う。
私が釣りの魅力に引き付けられたのは、前任校である昭和村立昭和中学校小野川分校に赴任してからである。それまでは、会津の山里に生まれ、少年時代は四季を通じて自然の中での遊びを満喫していた私だったが、時とともに自然を忘れた生活に慣れてしまっていたのである。
学校のすぐ前の川には居つきの岩魚がいる。その日の収穫をぶら下げて報告する子どもたちがいる。園芸用の一メートルの支柱を竿にして足もとの岩魚を釣りあげる同僚がいる。私が川遊びや岩魚釣りにのめりこむのに、長い時間は要しなかった。それほど豊かな自然と子どもや同僚、地域の方々に恵まれていた。
岩魚は人の気配を感じると、場合によっては、二日も三日も岩の下に隠れて出て来ないという。そういう魚が相手なのに、われわれはハイキングにでも行くような気分である。
道具も渓流用のものではなかったし、仕掛けもでたらめであったし、釣果も期待できなかったが、やたら楽しかった。
岩魚釣りを通して学んだことは、釣りの技術よりも沢歩きや自然の楽しみ方などであり、今までの自分自身を反省させられることが多かった。
こんなこともあった。私が、キャッチアンドリリースで岩魚の口から針をはずそうとしたときである。
「先生、水温は何度だよ。先生の体温は何度?逃がしてやろうと思っても魚は大ヤケドじゃないの」
と、初対面の師匠が厳しく言う。その師匠は魚を水面から上げないで、冷たい水の中でリリースしていた。彼は、そっと煙草のフィルターもポケットにしまい込んで持ち帰る気のつかいようなのである。
恵まれた自然の中で、様々なことを楽しみながら学ぶことができた分校生活であったと思う。教員以外の方々との出会いやつき合いによって得たものも大きかった。ものの見方や考え方が狭かったことに気づき、おかげで心の風通しがよくなったと実感したことも少なくなかった。
ややもすると、平凡な出来事の連続で、生徒一人一人の思いを考えずに安易な気持ちで対応してはいないか。遊びの中でも、「先生」と呼ばれる自分の責任と自覚をつい忘れがちになってしまうことはないか。
仲間と釣り糸を垂らしながら、また、学ぶことの多い時間に浸る。
(会津若松市立第三中学校教諭)
ハングルとキムチの国を垣間見て
渡部洋子
“近くて遠い国”おおかたの日本人がそうであるように、私にとっても、訪問前の韓国に対するイメージは、この言葉に端的に言い表すことができます。
金浦空港に降り立って見た最初の印象は、林立する濡洒(しょうしゃ)な高層ビルや日本人とさほど変わらないその容貌と服装に際立った特徴は見当たりませんでした。しかし、やがて、肩がぶつかり合うのも構わずに絶え間なく押し寄せる人波やクラクションを鳴らしながら猛烈なスピードで走り抜ける車の洪水、そしてあのキムチの匂いとハングル一色の世界に触れた時、そのエネルギーに圧倒されるとともに、日本的な情緒や感性とは異なる違和感に、異国にいるんだな、