教育福島0162号(1992年(H04)04月)-023page
ふれあう心
−老人ホーム慰問での感動−
佐藤美奈子
「先生、来年もまた絶対に来ようね。」
これは、昨年の秋、特別養護老人ホームへの慰問から帰る車の中で、まだ涙の乾ききらぬ目で訴えた生徒達の言葉である。何と輝いた目をしていたことか。今でもあの生徒達の清々しくそして生き生きとした表情は、私の脳裏に強く焼きついている。
私は教師二年生。新採用教員として、昨年よりこの二本松第二中学校に勤務している。本校では、生徒会を中心にした全校生が一丸となって、無遅刻運動をはじめ、あいさつ運動やクリーン運動等に積極的に取り組んでいる。そのような日々の学校生活のあらゆる場面において、私達教師は生徒との″ふれあい″を非常に大切にしている。
昨年の夏、初任者研修の一環として、介護研修で訪れた老人ホームのお年寄の孤独な姿、そして人恋しそうに一生懸命話す姿に接し、胸がしめつけられる様な思いがした。時が過ぎ、自校のボランティア活動で、再度、私が顧問をしているコーラス部の生徒と共にその老人ホームを訪ねる機会に恵まれ、慰問することになった。
慰問当日が来た。生徒達はみんなと一緒に出掛けられることが嬉しい様子であった。予定の時刻より三十分程早く老人ホームに到着したが、既にホールには、沢山のお年寄の方々が、私達の到着をいまか、いまかと待っていて下さった。今日のために用意したプログラムは、お年寄に楽しんでいただけるようにと、日本の童謡、そして民謡を中心としたものだった。慰問が決まってからというもの、少ない時間で生徒と共に、どうしたら喜んでもらえるだろうかと思案し、工夫を凝らしての手づくりコンサートとなった。
なんということだろう。代表の生徒が前に出て挨拶を始めた途端、客席の中から、ワーッと泣きじゃくる声が聞こえてきたのだ。生徒達も初めは驚いていた様子だったが、何かその声から気持ちが通いあったのだろうか、歌う前から泣き出す生徒さえいた。プログラムがどんどん進み民謡になった。心地よい太鼓の音と歌声に合わせ、お年寄も手拍子をとり、一緒に口ずさんでいた。ホールの中は、みんなの心がひとつになりその時まさに″大合唱″になっていた。コンサート終了後の交歓会では、「今日はありがとう。」と涙ながらにしっかりと手を握りしめ、なかなか離そうとしないお年寄が多かった。生徒達もそんな気持ちが分かってか感極まった様子で、熱心に話に耳を傾けていた。心と心がふれ合い、初体面だというのに、音楽を通じてひとつになった時間は、あっという間に過ぎてしまった。生徒達は「なんで家族と一緒に住めないの、かわいそう。」と高齢化が進む現代社会の大きな問題点に複雑な心境の様でもあり、福祉についてもおおいに関心を抱いた様子だった。
今回、慰問という機会に恵まれ、私と生徒達も本当に大きな感動と、そして心が通じ合う素晴らしさを直接肌で感じ、体験することができた。これは、私の人生の中で、貴重な財産となると確信している。そして、これから教育活動を進める上で、生徒とのふれあいを常に心にとどめ、共に成長できる教師でありたいと念じている。
(二本松市立二本松第二中学校教諭)
変化の中で思うこと
有賀真道
教職十一年を過ごす間に、学校の状況も大きく変わってきた。
まず、何といっても職員室にいる教師の年齢が若返ったことに驚きを感じる。
自分が新卒の頃といえば、四十代・五十代の教師がどっしりと構えて力を発揮していた。そこに一人若い自分が入り、右往左往していた感があった。最近は、毎年毎年若い教師が入るようになり、平均年齢が急激に下がってきている。四月を迎えるたびに、こんなに若くて大丈夫だろうかと不安になることもあった。
しかし、すぐに彼等がその若さを発揮して十分やっていける姿を見て、心強く思えてくる。
もう一つ大きな変化として感じる