教育福島0162号(1992年(H04)04月)-024page
ものにパソコンの登場がある。以前は高価で、よほどのマニアでもなければ持っていないものであった。しかし、最近では郡山市内でも、各中学校に数台ずつのコンピュータが配置され、成績処理や文書作成などに利用されている。
新しい学習指導要領においては、技術家庭科で、パソコンそのものを扱うようになり、学校に必須の備品となってきている。当然、パソコンとは今後、長くつきあっていかなければならないこととなる。
しかし、あまりにパソコンに過剰な期待をかけるのもどうだろう。パソコン室に行っての授業というと、どうしても抵抗があったり、おっくうになりやすい。半強制のような状況になれば、「パソコンアレルギー」の教師もでてくるだろう。
パソコンは使ってみると、全く大げさな機器ではない。めんどうな使い方をしなければ、大変便利なものである。大げさに考えずに、パソコンもOHPやVTRなどと同じ教育機器の一つと考えて、「気軽に、手軽に授業に取り入れられるような存在」になればと思う。
状況が変化したり、新しいものが登場すると、どうしても不安な気持ちになるものである。パソコンの登場もその一つであるが、便利なものにはちがいないのだから、できるだけ早く教育機器の仲間入りをさせ、だれもが気軽に活用できるようになればよいと願っている。
急激に変化する社会に伴って、教育現場も大きく変わりつつある。変わるべきものと変えてはならないものをしっかり見極めて日々の教育実践にあたりたいものである。
(郡山市立郡山第六中学校教諭)
夜空に輝く星
中澤綾
黒、黒、黒…。眼前に迫り来るのは、ただただ真っ黒な海のみであった−
というのは、着任式での全校生に対する印象である。千三百余名の前で登壇するという機会はそうあるわけではない。しかも、今まで全くかかわりのなかった男子生徒たちである。慣れない早起きの疲れ(?)も手伝って、私は立っているだけで精一杯であった。
そのうちに、最も不安であった授業が始まった。一月程前までは受ける側だった私が、教壇に立っていた。これからの五十分、この生徒一人ひとりの五十分を私が握っているのだ。それに、生徒は教師を選べない。私は初任者だが、生徒にとっては、他の先生方と同じ「先生」なのだ−などと考えると、気ばかりあせり、授業がただ重荷にしか感じられなかった。いつ頃だろうか。重荷に押しつぶされそうになった時、ある先生が、「若さはよい武器だね」と言われたのだ。私は急に肩がすっと軽くなったような気がした。そうなのだ。私は無理な背のびをしていたのだ。子供が大入をまねてするように。「先生」を演じることにのみ必死になっていた自分が滑稽に思われた。これからは今の自分にしかできないこと、今の自分だからできることを精一杯やっていこうと心に刻みつけたことを覚えている。
また、私は安積二高のスクーリングの機会に恵まれ、年二回と数は少なかったが、数多くの貴重な体験をすることができた。最も心に残ったのは、働きながら勉強をするという学習意欲の大きさである。自分の高校時代を振り返ると、そのような人たちの前で授業をする資格などないようで、申し訳なく思う。様々な職業、人生経験を持つ人たちに接することができたことは、逆にとても勉強になった。
一年が経ち、二年目に入ろうとする今、様々なことが脳裏によみがえる。始業式早々から、全校生の前で失敗もした。授業がうまくいかなくて悩んだり、生徒の気持ちがつかめなく苦労したり……しかし、それを救ってくれたのは生徒だった。生徒は裏切らない。こちらがぶつかっていけば、必す受け止めてくれる。逆にこちらが心を開かなければ、生徒も絶対に開いてくれない。おもしろいと同時に、とても難しいとつくづく思う。まだ手探りの状態ではあるけれど、生徒がともしてくれる灯を頼りに、それを信じてゆっくりと一歩一歩、歩いていこうと思う。
先日、また全校生の前に立つ機会があった。真っ黒な海が、今度は夜空に輝く星に変わっていた。
(県立郡山高等学校教諭)