教育福島0162号(1992年(H04)04月)-025page

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川の流れのように

高村亮一郎

 

すること。終わりのないこの道。愛する人、そばに連れて、夢探しながら…。」

 

「生きることは、旅すること。終わりのないこの道。愛する人、そばに連れて、夢探しながら…。」

最近よく口をついて出る有名な歌の一節である。私事で恐縮であるが、この歌は、私の結婚披露宴において、職場の同僚が歌ってくれたものである。

後になって聞いた話だが、放課後、音楽室で秘かに集まって特訓をしたらしい。その時の練習の光景が、日頃をよく知っている同僚達だけに、その四苦八苦ぶりが目に浮かぶようで、なにか心温まる思いがしてとても嬉しくなる。歌などそれほど興味もなかったが、なぜかこの歌に心ひかれるのは、単に「あの時」を思い出すだけでなく、こうした同僚達の気持ちがほのぼのと伝わってくるからなのだろう。

とかく毎日の仕事に追われていると、まわりの事に無頓着になり、物事に感動したり、じっくりと何かを考えたりする余裕がなくなってしまうのは、なんとも味気ないものである。現代の社会は、留まることさえできないほどスピード化が進み、生産性の向上や効率化にしのぎを削っている。しかしながら、「ふっ」と力を抜いてまわりを見てみると、大人になって、久しく忘れかけていた物が見えてくる。それは、子供の頃に体験した新鮮な驚きや感動である。

いつから道端に咲いているタンポポやつくしに目もくれずに、目的地だけを目指して歩くようになったのか。それが、ある意味では大人の仲間入りをした日なのかもしれない。

かつて「となりのトトロ」という映画が大ヒットした。私もこの映画を中学校の芸術鑑賞会の中で見て、年がいもなく子供とともに感動した。この映画は、昭和三十年代の田舎をモデルにしているが、そこに出てくる可愛いおばけ達は、純粋な子供にしか見えないという設定で、夢や心を置き去りにした現代人への痛烈な風刺となっていた。

昭和三十年代といえば、日本の高度経済成長が始まる時代でもあり、社会がどんどん発展していく頃である。その後、二度の石油危機を経て日本は、戦後わずかの間に世界の経済大国に成長してきた。しかし、一方では、大切なものまでも随分犠牲にしてきたような気がしてならない。「物心両面の豊かさ」が叫ばれるようになって久しいが、心の豊かさの問題は、更に日本経済が発展し、物が豊富になればなるほど対照的に大きく取り上げられることになるだろう。世の中が多忙を極める現代に至って、改めて時間にゆとりをもって生活していくことが、真に豊かな生活を築くうえで大切だと考える。

現代社会の授業の中でも倫理の分野に人間の生き方について考察するような題材がでてくるが、授業をしながら、ついつい自分の生活とオーバーラップさせてしまい、熱がこもる。

何気ない日常生活の中にも、時には「どうしてなんだろう?、なぜなんだろう?」と立ち止まって考えることのできるそんな人間でありたいと思う。生きていれば、楽しいことも悲しいこともいろいろあるが、「川の流れのように、穏やかに」それでいて、心豊かな人生を送ることができたらどんなにか素晴らしいだろう。

(県立只見高等学校教諭)

 

豊かさの中での教育に思う

齋藤敬一

 

ことになるが、私が初めて、小学一年生二十四名を担任したときのことである。

 

ずいぶん前のことになるが、私が初めて、小学一年生二十四名を担任したときのことである。

水洗トイレの使い方を指導してから二〜三日たって、A子が一日に三度も粗相(そそう)をしたことがあった。

「A子さんどうしたの」とたずねた。なかなか口を開かない。

「先生にそっと話して」

A子は、やっと重い口を開けた。

「…先生、私、…トイレを壊してしまったの」

と小声で言った。

「どこが壊れたの、先生と一緒にいってみよう」

A子の話によると、便をして、水を流した後の補充の水が、しばらく

 

 

 


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