教育福島0162号(1992年(H04)04月)-026page
止まらなかった。これは、てっきり自分が壊したと思い込み、以来、使用しなかったようだ。
今では、水洗トイレが普及し、このような話は、笑い話にもならない。逆に、くみ取り式のトイレは恐ろしくて入れないという子がいることも耳にする。
毎年新入生が入ってくる頃になると、指導すべき事柄も時代とともに変わってきていることがわかる。
子どもたちの多くは、個室をもち、机、スタンド、CDラジカセ、テレビ、なかには、冷暖房設備まで完備し、何の不自由さも感じない生活、しかも、ゲーム機器など遊びの時間も自由自在。
このようにものの豊かな中で育った子どもたち、めぐまれすぎた環境がゆえに、意欲に欠ける面があると言われる最近の子どもたちである。
「夢なき者に目標なし、目標なき者に計画なし、計画なき者に行動なし」とも言われている。最近の子どもたちには、時には、意図的に不便さを設定し、自分で判断し行動させる場面を通していくことも必要であろう。群れ遊ぶことも少なく、家庭での手伝うこともきわめて少ない子どもたちに、集団形態で指導していくことの困難さを増すことになる。しかも、個性を尊重し、個人差に応じて実践していく必要性も加わってくる。
したがって、学校では、児童の生活リズムをおさえながら、集団の中でのあらゆる場と機会を通して、児童一人一人の生(なま)の姿をとらえていかなければならない。そして、それをもとに、児童のよりよい自己実現に生かすよう配慮し指導していかなければならない。また、指導する側においても、やはり夢なきところに目標なしである。悩みながらも、夢を追いつつ、マンネリ化に陥らないよう叱咤激励している毎日である。
(会津坂下町立広瀬小学校教頭)
見学
阿部友紀
只見町には町内小・中学校六校の教職員で組織する「教育研究会」がある。昨年夏、その中の学習指導部会の研修として、町教育長の飯塚先生を講師にお願いし、「史跡巡り」をする機会を得た。
まず、私が勤務する中学校の学区である梁取地区の「成法寺」を見学した。
この寺には、鎌倉時代に建てられた茅葺き寄棟造りの「観音堂」(国指定重要文化財)がある。
和洋と唐様を混ぜた三間四方ほどの建物であるが、後ろの切り立った岩山の緑に映え、静かなたたずまいと荘麗な感じが印象的であった。
その後、完成間近の「会津只見考古館」やこの地に没した長岡藩総督河井継之介の遺徳をしのんで建てられた「河井記念館」など数か所を見学した。
このように「文化財」に触れることは、私にとって新しい赴任地「只見」を理解する上で大変有意義なことであった。
これらの見学の中で、「会津只見考古館」は、わが校のすぐ近くにあることや十一月ころ「創意」の時間に「郷土の文化財巡り」の授業として見学を予定していただけに特に、印象的であった。
この考古館は、只見町大字大倉にあり、縄文時代から弥生時代にかけての集落跡である「窪田遺跡」に接して建てられたものである。
全校生徒で訪れた時も、子供たちが館内の展示物や解説のパネルを食い入るように見つめていたことや、多くの遺物と併せて展示してある郷土の民具を見て「これは、家にある」とか「爺ちゃんの家にいった時見た」とか互いに目を輝かして話していたことなどは、何となく誇らしげにも見え、生徒の思いがけない一面を見たようで忘れられないことである。
このようなことを思い出す時、人は、孤立した時間の中に生きているのではなく、長い時間において築かれてきた地域文化や伝統という大きな時間の流れの中に生きているということが、実感として伝わってくる。
まさに、人は、「ふるさとから学び」「ふるさとと共に生きている」ということを身近な出来事から学んだような気がした。
(只見町立明和中学校教諭)