教育福島0163号(1992年(H04)06月)-024page
を与えるのは、いうまでもありません。毎日、学校の様子や、先生のお話しになったことを話してくれる姿を見ると私まで楽しくなり、学校や先生に、興味を持ってしまいます。こんなに輝いている子供を親が曇らせない様にしなければなりません。
常に、学校と家庭が一体になり、お互いの様子がわかり合える関係を作らなくてはならないと思います。その為の第一歩が、PTA活動の参加でした。特別な事は、なにもできませんが、少しでも良くなる様に、楽しくなる様に、子供たちのためのPTAでありたいと考えています。
最近、こんな話を聞きました。親に虐待された子供は、自分が親になった時、今度は反対に子供を虐待する可能性が大きいという事です。家庭環境の大切さを、痛感しました。
子供は親の背中を見て育つといいます。私自身が、いいかげんな行動をしていれば、子供は、その姿を見て、それがあたりまえだと思うでしょう。愛情があれば、当然、責任のある行動が出来るはずです。私も、子供と一緒に成長していかなければなりません。
太陽のように、ポカポカと暖かい日ざしを降り注げる、強くて、やさしい母親でありたいと思っています。(郡山市立金透小学校PTA会員)
新開発行三十余年
今野剛光
新聞づくりは、今の私にとって、最良の趣味です。今日も、私の部屋の書棚には、明日発行の学校だよりの原本が画鋲で止められています。
現任校に勤務して四年目になりますが、過去三年間は学年担任でしたから「飛翔」「希望」と名づけて学年だよりを発行してきました。
質はともかく量は評価されたのでしょうか、毎年恒例の福島民友新聞社・県PTA連合会主催の「県小中学校新聞コンクール」では、学校新聞の部で三年連続、最優秀賞をいただきました。
一昨年、三年生を担当した際に発行した「飛翔」は、例年どおり製本し、身近に置いてあります。年間の発行回数も定かではないので、ページをめくってみました。最終号は、ピンクのキリン紙で印刷されていて、三百五十六号でした。
ところで、本校でも、情報化社会にふさわしく生徒会やPTAの会報のほか、競い合うかのように学年だよりを発行しています。その機会にめぐまれた生徒と保護者は幸せだと思います。新聞づくりを志す多くの後輩たちにアドバイスしたいのは、レイアウトなどよりも、まず、「速報」「継続」それに、「一人一人の名前を載せる」ことに努力してもらいたいということです。
同僚に、たびたび「長続きの秘訣は何ですか?」と聞かれますので、自分なりに思っていることを五つ列記してみます。
1)自ら志望して始める。(上司からの頼まれごとでは長続きしない。)
2)発行回数を公言する。(竜頭蛇尾にならないよう、最初に、「今年は○回発行します。」と言い切る。)
3)「昔からみれば楽。」と思う。(ガリ版での新聞づくりと比較すれば、ワープロ、コピーが駆使できる今の労力は半分以下です。)
4)届けたい人を仮想する。(生徒でも同僚でも保護者でもよい。)
5)趣味として行う。(仕事だと思えば負担になるが、趣味だと思えば長時間熱中できる。)
最後に、前述の「飛翔」に最終号における編集後記を紹介します。
「…二年間にわたり”学年だより”のご愛読、ありがとうございました。この手刷りの通信が″学校と家庭のかけ橋″となって、少しでも生徒たちの健やかな成長に役立てばと思い、毎日発行してきました。…」
保原町が一望できる高台にそびえ建つ松陽中学校、その所在地にちなんでみんなで名づけた学校だより「向山」の発行を、今年もこんな気持ちで続けていきたいと思います。
(保原町立松陽中学校教諭)
バスケット指導を通して
東條克人
すがすがしい汗と涙。現代の世の中では、学校生活でも、家庭生活でも、すがすがしい涙をさがすことは