教育福島0163号(1992年(H04)06月)-026page

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卒業式が無事終わり、校舎を去る時、ある生徒がBGMを口ずさむと、クラス全員が大声で歌い始めました。涙をこらえ、顔をクチャクチャにして歌っています。私は、どんなコンクールの合唱よりも素晴らしい歌声を聴いたように感じました。

「澄んだ声は心も澄んでいる」と言われます。心の悩みも歌声によって和らぎ、開かれるのでしょうか。生徒指導を通して私も教えられた気がします。

(会津若松市立第四中学校教諭)

 

職員室での生徒たち

狗飼隆史

 

とにぎやかな職員室なのだろう。」これが昨年赴任した時の第一印象であった。

 

「なんとにぎやかな職員室なのだろう。」これが昨年赴任した時の第一印象であった。

休み時間ごとに四、五名の生徒が訪れ、職員に擦り寄ってくる。そしてほんの二、三分おしゃべりをしてまた教室へ戻っていく。しかも、ほとんどが女子生徒である。部屋のあちこちで、きゃあきゃあという黄色い声があがっているのである。

話の内容も、たわいのないものが多い。今日のお昼に何を食べたか。髪型を変えた。新しい洋服が欲しい。といった具合である。

ただ、気になるのは、時々生徒たちがこぼしていくぐちである。同じ会社で同じ仕事をしているにもかかわらず、高校を卒業した同僚よりも給料が安いとか、他人の失敗の責任をなすりつけられてしまったといった会社での不満や、全日制の高校に通う兄弟が親にひいきされているといった家庭での不満をもらしていくのである。

確かに、夜間の定時制に通う高校生は、一般の人々の目には特異な存在として映ってしまうのかもしれない。夜間の学校に通う者に問題行動がめだった時期もあり、また、経済的な理由よりも学力の点から夜間定時制高校への進学を希望する生徒が多くなったこともあってか、どうしても色眼鏡で見られがちなのだ。

授業の中で差別用語の問題を取り上げたときに、ふだんはおとなしく、いるのかいないのかわからないような生徒までもが身をのり出すようにして授業に参加してきたのも、そうした背景があるからなのだろう。

しかし、彼らはけっして反社会的な存在ではない。ただ、他の人々よりも自己主張が苦手で、対人関係をうまく作りあげることができないのである。そうした欲求不満を解消できる唯一の場が、この職員室なのかもしれない。

たった五分しかない休み時間なのに、毎回のように職員室にやってくるのは、職場や家庭では押さえつけている自己を十分に表現することができる場と、それを受け止めてくれる人を求めているからなのだ。

赴任当時は、様子を探るように少し離れて私を眺めていた生徒たちを見て、この生徒たちとうまくやっていけるのかと不安を感じたものだが、一度親しくなってしまえば、休み時間ごとにやってきては話をし、先生疲れているでしょうと肩をもんでくれたりもする。

多少わがままで、時に意固地になって反発することもあるが本当はとても人なつこい面ももっている。

愛すべき生徒たちである。

(県立白河第二高等学校教諭)

 

教師という職業

佐藤博

 

種の学校行事、部活動と忙しく過しているうちに、十年が過ぎてしまいました。

 

毎日の授業や生徒指導、各種の学校行事、部活動と忙しく過しているうちに、十年が過ぎてしまいました。

私が中学校の教師になろうと思った最大の理由は、数学の教師のイメージを変えてみたいと思ったからです。TVドラマに出てくる数学教師のタイプは、常に生徒の気持ちを無視する堅いイメージであったり、どちらかというと生徒に嫌われる役が多いようです。現実でも、生徒は、数学を嫌う傾向にあり、教科の難しさと合わせて数学の先生へのイメージをかたくなな存在にしてしまっているのではないかと思います。そこで、そういう堅いイメージを破った楽しく個性的で、数学の勉強を楽しくさせる先生になってみようと、この世界を選んだのです。

二つめの理由は、私自身が中学校、高校と卓球をやってきたので、自分が育てた選手を大きな大会へ出場さ

 

 

 


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