教育福島0163号(1992年(H04)06月)-027page

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せてみたいという夢があったからです。

教師になって十年が経ちましたが、今でもこの二つの気持ちを強く持ち続けています。後者の夢は、前任校でどうにか果たすことができ、全国大会や東北大会へ参加できたことは懐かしい思い出です。今は夢よ再びの気持ちで、毎日遅くまでがんばっています。

前者については、授業の中で、グループ学習を取り入れ、一人一人の能力に応じた学習ができるようにしています。十二人のサブテーチャーを決め、それぞれのサブテーチャーに二人の生徒をつけて班を編成し、個別学習を進めることにより、数学の基礎・基本を徹底して身につけるとともに、個人差に応じた指導を進めることができ、生徒も意欲をもって学習に取り組んでいます。

また、生徒との人間関係を深めることにも心がけ、沢山の思い出を創りたいと考えております。昨年の夏休みに行った学級独自の親子行事は、私と生徒、親子ともども楽しく過ごすことができた上、親への反響が大きく、印象深いものでした。

中学生という多感な時期を指導することは困難も多いが、別の見方をすれば、教師の生徒に与える影響は大きく、生徒の将来の生き方に、想像以上の示唆を与える役目を担っていると、この十年の経験から学びました。

今年もまた何度目かの三年生担任です。中学校生活の最後にふさわしい思い出を創り出すためにも、自分の持ち味を精一杯発揮して生徒とともに学習指導や部活動に励み、教師として充実した生活を過ごせるよう心がけていきたいと思っています。

(尚英中学校教諭)

 

卒業生を送り出して

大友一芳

 

ある。軽口をたたいたのち、こられるなら学校に来たらと言って受話器を置く。

 

県立高校合格発表の日。合格の報告に来る生徒で職員室がにぎやかである。電話が鳴った。まわりが騒々しくよく聞きとれない。M子からであった。今、平の病院にいるという。昨日、階段から落ちて足首をねんざしたため、合格発表の報告を病院からしているというのである。軽口をたたいたのち、こられるなら学校に来たらと言って受話器を置く。

怪我をしているので来ないであろうと思っていたら、遅くなって父親が来校し、今、本人も来ているとのこと。玄関に行くと恥ずかしそうに、足を石膏でかためた姿で立っている。

二年前、私が本校に赴任し、二年生を担任することになった時、反抗的な態度をとるM子が目についた。

M子の生徒指導資料を見ると反抗的な様子が書いてある。まわりの先生に話を聞くと、学級担任には特に反抗的で言うことを聞かないでいたとのことであった。

担任が変わったのだからと接して見たが、話の通り、反抗的態度であり、注意をしようとすると逃げていく。どうにか、やっとのことで指導の時間を見つけると、そっぽを向き馬耳東風の体、不快感を体全体に表す。家庭にも様子を伝えるが、改善のきざしが見られない。

よくM子を観察すると、話をする先生もいる。教科でみると授業中の態度は悪いが、要点だけはきちんと押さえるように臨んでいる。学校行事には消極的であるが、部活動は休まず参加する。など良い点が見られたので、これを認めていくように心掛けた。三者懇談にも良い点を強調し、悪い点は知らせる程度に配慮した。

家庭科の補欠の時であった。多くの生徒は準備が悪くプリントを行っていたが、M子は一生懸命に手さげを製作しているのである。無造作に作っているように見えるが、要点をおさえた見ごとな出来ばえである。「よくがんばったね。」と昼休みにほめると、初めてにっこりとした。

徐々に、M子の心が開かれてきて注意されても悪かったと表情に表れるようになった。学級の一員として、何でも言え、答えるようになったのは、まもなくであった。

卒業式の日もいつもと同じく声をかけ、卒業式が始まる。

卒業式を終えて数日、がらんとした教室には、あのM子がひょいと現れるような錯覚におそわれる。目の前には新入生の顔。この中にM子のような生徒がいるかもしれない。その時には思い切り受け入れてやろう。

(いわき市立小川中学校教諭)

 

 

 


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