教育福島0163号(1992年(H04)06月)-028page
雑草の強さを
柴原恵子
九月の中旬、長雨と風の日が続いて、花壇の花がめちゃくちゃになってしまいました。雨に打たれて、寝そべってしまったり、根がとび出して倒れてしまったりしていました。そんな中で、花壇の隅にあった雑草だけはびくともせず、生き生きとしていました。倒れた花達をどうしようかと見ている私のそばで、K男は、「この花強い。たおれないね。あんなにすごい風や雨だったのに、平気な顔してる、強いね。この草と花。」と、感心してながめていました。その時、理屈屋のT男が、話にまざり、「ああ、これはね、花じゃないよ。草だからだよ。これはじゃまなの。みんなでむしる草カイジュウなの。」と、T男は、あっという間にその雑草を引き抜きました。それを見ていたK男は、
「先生、この草の根っ子、となりの草と手をつないでいたから、強かったんだよ。根っ子いっぱいあるよ。」と、根っ子を見せながら、
「強い根っ子、ぼく持ってよう。」
と、チリ紙でつつみポケットに入れました。
二、三日して、K男はしまっておいた雑草を見せに来て、
「やっぱりかれちゃった。」
と、がっかりしていました。でもよく見るよう言うと、
「あっ、まだ根っ子はだいじょうぶだ。」
と強く生きぬく雑草を見つけました。
日々の子どもたちから、いろいろなことを教えられます。
温室育ちでは全体にもろく、温室から出すと、外気の抵抗に弱いので長もちしません。自然に自分の力で育ったものは、少しくらいの風や雨にも負けません。子どもたちを、身のひきしまった、張りのあるがんじょうな心身の持ち主にしたいと思います。それには、自分の力をことあるごとに確かめ、自分で挑戦することを楽しむ子にしなければならないと思います。
花壇の花の茎に、そえ木をするように、子どもたちに安易なそえ木をしてはならないと思います。相手が差し出す手に、すがって生きるたやすさを教えることより、野に咲く花のように、自分で体の安定を保って生きぬくことを獲得させたいと園の子どもたちやわが子の子育てに苦慮する日々の中で、反省させられています。
子どもたちの声を聞く耳と目を鍛えながら、人工ではない自分の力で生きている雑草の強さを、園生活の中で体験させていきたいと思います。
(白河市立小田川幼稚園教諭)
子どもに学ぶ
神田順一
本校児童が、楽しみにしている活動がある。それは、児童会の集会活動である。
本校の児童会の集会活動は、ここ数年の間に望ましい姿に変わってきた。しかし、このようになるまでには、何度かの失敗と、それをのりこえる児童の努力があったのである。
平成元年の二月、恒例の「六年生を送る会」が行われた。計画と運営を任されたのは、五年生の代表委員を中心として編成された実行委員二十二名。昼休みや放課後も使って話し合いを重ね、六年生と一緒に楽しい時間を過ごし、心をこめて卒業を祝う会にしようということになった。内容は、それまでの学級や学年ごとの出し物から、ゲーム大会に変わった。また縦割りの班で、レクリエーションや奉仕活動を行っていたので特に世話をしてもらった一年生が、感謝の言葉とプレゼントを贈ることになった。
計画は斬新で、五年生以下が協力し合って準備も万全。実行委員も、相談役の私も、意気込んで当日を迎えた。ところが、いざ始まってみると、実行委員の奮闘にもかかわらず私語が多く、動きも鈍い。結局、予定したゲームの半分もできず、一年生からの感謝からの言葉とプレゼントでなんとか体裁を整えることができたという結果に終わった。
一生懸命に計画や準備をしてきた実行委員のHくんとSさんが、「先生、失敗だったね。」