教育福島0164号(1992年(H04)07月)-007page
もう一つ。「スープの冷めない距離」という言葉がある。心理的距離のことはともかく、物理的な距離に人はいかに左右されるものであるか。人と人とが手をもって触れ合える距離。それは人間の生々しさに満ちた距離だ。いやおうなく相手を意識せざるをえないが故に、相手が何を求め、自分に何ができるかを絶えず問い続けねばならない。愛し、いたわり助け合うのもこの距離なら、息苦しさから解放されずかえって憎み合い傷つけ合うのもこの距離だ。ぬくもりの伝わる距離ではあるが、大写しになって全体の見えぬ距離である。それに比して言葉が交わせ、近づいていっていつでも手を差しのべられる距離。これこそあのさわやかなあいさつに出会う距離ではないか。人は表情やまなざしを確かめ合い、息苦しさもなく相手を一個の存在として認め、相手に煩わされることなく自己を主張できる距離。ともに生きてある者どうしの慈しみとやさしさを共有できる距離。これこそまさに「恩寵の距離」「神、ともにいます距離」ではないか。人はその時、限りなく謙虚であり、過不足なく相手を見ている。「スープの冷めない距離」は、神々を模倣せんとする人間の世知が生み出したものだろう。それだけに一見「神、ともにいます距離」に近いものでありながら人間の計画された冷たさが潜んでいる。
それはともかく、子供を愛そう、理解しようとするあまり、時として「息苦しさの距離」に迷い込み、泥足で子供の心を踏みにじるようなことをしてはいないだろうか。
【筆者紹介】
宮島守之・みやじまもりゆき
昭和九年 福島市に生まれる
昭和三十七年 東北大学文学部卒業
昭和五十九年 県立浪江高等学校教頭
昭和六十二年 県立福島高等学校教頭
平成二年 県立四倉高等学校校長
平成三年 福島県教育センター所長