教育福島0164号(1992年(H04)07月)-024page
ら次へと頭の中を駆けめぐる。これが最後の演奏かと思うと、涙が止まらない生徒も……。演奏中の生徒たちの姿は実にすばらしい。
緊迫したひととき、そして演奏が終わるや、「ブラボー」という声と共に大観衆の大きな拍手がわき起こった。我に返った生徒たちは、やがて大きな感動で胸が一杯になった。精一杯演奏したという満足感で、どの生徒の顔もすがすがしく見えた。大ホールを埋め尽くした聴衆の前で、一心に演奏できたことに、胸の中から言いようのない感動が込み上げて身じろぎもしないでいる。
ステージを降りてくる生徒たちの顔を見ると、ほとんどの者が上気して、目にキラリと涙が光っている。生徒を迎える私。「よくがんばったね」と、ねぎらいと感謝の気持ちを込めて、一人一人の手をしっかりにぎっていた。そのとき、私は、共に苦労してきたかいがあった、本当によかったと、心の底からわき上がってくる思いに浸っていた。
全日本吹奏楽コンクール…今や、全国で参加する中学校は六千校にのぼる。その中から全国大会に出場できるのは、わずかに二十八校である。いつの日か、あるステージで力一杯演奏してみたいという私たちの夢がかなって、今ここにいるのだという思いを改めてかみしめていた。
一つの音を創り出すために、どれほど生徒と共に苦しんだことだろうか。苦しみを乗りこえ、納得のいく者、曲のまとまりができ上がっていくときのすばらしさを、共に体験してきたのだ。全国大会で手にした銀賞は、その苦しみと喜びのあかしである。きっとこの体験をこれからの人生で、大きな支えにしてくれるにちがいない。
(原町市立原町第二中学校教諭)
普門館にて
太鼓のリズムにのって
高橋正之
先日、前任校である大波小学校の運動会に招かれ、行って来た。児童と教師、保護者が一体となって、きびきびとした中にも温かさの感じられる運動会だった。
午後の最初の種目は、鼓笛パレードである。煙火の合図とともに演奏が始まった。「大波太鼓」のリズムと笛の音。そして、児童の「ソレソレ」というかけ声が私の胸に響いた。
大波地区は、四つの地区から成りそれぞれに伝承太鼓がある。ルーツは同じであるが、長い間にそれぞれの叩き方が変化し、違いが見られるようになったらしい。伝承太鼓という性格上、一つのものにして全校で取り組むことはむずかしく、毎年各地区交代で行われる学習発表会での演奏を聞くだけだった。
そんな折、来年度の鼓笛の出を何にしようかという話が出た。和太鼓や篠笛の音色を鼓笛の楽器で表現するのには確かに無理はあるが、自分たちの地区に伝わる自分たちだけの出を演奏できたらどんなに素晴らしいだろうと考えた。そう考えると、何かうきうきとしてきた。
「来年度の鼓笛の曲は『大波太鼓』にしたいと思うのですが--。」と、相談をすると、校長先生を始め、先生方は皆喜び、応援してくださることになった。
行進しながら演奏できるものとして、大波の上染屋地区に伝わる「おけさ太鼓」をベースに編曲を始めた。太鼓を練習している所に行って、いっしょに練習したり、録音したテープを聴いたりして楽譜にした。
ところが、実際に練習を始めると、単調な小太鼓のリズムに他のパートが入るタイミングがつかめないなどの問題が出てきた。練習がうまくいかず、子ども達から
「どうしてこんな曲をやらなくちゃ