教育福島0164号(1992年(H04)07月)-027page

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「どうぞ、私におまかせください。」毅然とした態度で、そして自信に満ちた口調のその言葉を聞いた時、一層の力がスーっと抜け、なんとも言えずホッと安心したのを今でもはっきり覚えています。もちろん母は、私以上に安心したにちがいありません。

そして手術は成功。八時間の大手術でしたが順調に進み、輸血もしないですみました。術後の経過も良好で、二学期からはこれまで同様子ども達と過ごすことができました。

星野先生のあの一言は、ベテラン医師としての自信が成せる術だったのかもしれません。それにしても、患者の心を鋭く読み取られていた星野先生の深い人間性に心から感謝した次第でした。

お陰様で今では二人の子どもも授かり健康な毎日を送っております。そして偶然にもあの時と同じ言葉を長女の入園式で聞くことになったのです。

担任の若い先生は、保育の方針やら園生活についての説明の後で、力強く、こうおっしゃっいました。

「私にまかせて下さい。」

お子さんの健やかな成長のために精一杯努力しますので、私を信じてください。若い先生の目はそう語っているように思え、なぜか目頭が熱くなったのでした。

これまでの生活を思い起こせば、その一言で心が揺り動かされたり、生き方が左右されたりすることが数多くありました。同時に、不用意な言葉で相手を傷つけてしまった苦い経験も--。

様々な個性を持ち限りない可能性を密めた子ども達、そして我が子をいちずに愛する親さんに相対した時相手の立場に立って、心情を読み取り心に響く言葉が言えるよう、あらゆる機会に自分を磨き、自分自身を高めたいものです。

(義務教育課指導主事)

 

かえる釣り

西牧武美

 

とだの--たわいもないことがよみがえってくる。年をとってきたせいだろうか。

 

最近、子どもの頃のことをよと思い出すことがある。池や川で魚取りをしたことだの、たんぼの中を走り回って遊んだことだの、いたずらをして大目玉を食らったことだの--たわいもないことがよみがえってくる。年をとってきたせいだろうか。

授業中、何かの拍子に思い出し、子どもたちにその話をしてしまうこともある。ある日、かえる釣りの話をしたことがあった。子どもたちは(やったことも聞いたこともない。)といった表情で耳を傾けていた。

かえる釣りというのは、文字通りかえるを釣るのである。道端などに生えている穂のある茎の長い草を根元から折り、穂先だけを残して、あとは全部取ってしまう。それが、かえる釣りの釣竿というわけである。たんぼなどにいるかえるにそっと近付き、日の前にその穂先をちらつかせる。すると、それを虫だと思うのか、飛び付いてきてくわえる。そこを釣り上げるのである。

しかし、これがなかなかうまくはいかない。うまくはいかないので夢中になるのである。穂先の大きさを変えてみたり、ちらつかせ方を変えてみたり、ちらつかせる距離や位置を変えてみたり--。何といっても難しいのは、釣り上げるタイミングである。釣りというものは、おおよそそういうものであるが、早すぎてもうまく釣れないし、遅すぎても逃げられてしまうのである。必然的に集中力が必要になってくる。そのようにして釣り上げることのできた瞬間がたまらないのである。また、一度釣り上げたかえるを逃がし、再度試みたこともあるが、敵もさるもの逃げるもの。やはり三度はだまされない。

釣ったかえるをどうするということもなく、すぐに逃がしてしまうのだが、とにかく夢中になってやった覚えがある。二十年以上も前の話である。今の子どもたちは、そういう遊びはあまりやらないようだ。自然環境が悪くなってきているのも確かではあるが、環境に恵まれていてもその中で遊んでいる子どもの姿はほとんど見られない。物が豊かになり過ぎたこの時代、それは致し方のないことだと言ってしまえばそれまでであるが---。

子どもの頃のことをよく思い出すのは、今の子どもたちを見て昔と比べてしまうからなのだろうか。あるいは、やはり年のせいなのだろうか。

つい先日のことであるが、昔のことを思い出し、三歳の息子を連れて沢ガニ取りに出かけた。今度は、わがクラスの子どもたちと、久々にかえる釣りをやってみようと思う。

(西郷村立川谷小学校教諭)

 

 

 


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