教育福島0164号(1992年(H04)07月)-050page
ふるさと探訪
県指定重要文化財(古文書)禅長寺文書十通
所在地いわき市小名浜林城字大門九所有者禅長寺
大同二年(八〇七)徳一が開創し、鎌倉期に遠峰禅師が臨済宗の寺院として中興したと伝える名刹禅長寺は、山号は普門山、寺号は正式には「禅長護国禅寺」と称し、鎌倉五山の一つ「建長興国禅寺」と深い関係がありました。
この寺に伝わる「禅長寺文書(十通)」は、住持職を務めた顕材らの建長寺住持職就任に関する公帖を含んでおり、この寺が建長寺などの隠居寺ともいうべき役割を果たした事実を示すものと言えます。
また、天正七年(一五七九)の正親町天皇編旨及び副状は、この寺が禅院の官寺で五山・十刹に次ぐ寺格である「諸山」の格に列し、勅願寺として展筆の扁額を許されたことを示しており、これら一連の文書は、南奥州における禅宗寺院のあり方をうかがわせる文書として貴重です。
禅長寺文書(正親町天皇綸旨)
県指定重要文化財(考古資料)梁川城本丸跡出土品一括
所在地伊達郡梁川町字元陣内五の一梁川町史編纂室所有者梁川町
十三世紀に伊達氏によって築造されたと考えられる梁川城は、大永二年(一五二二)稙宗の陸奥国守護補任以降、十六世紀から十七世紀にかけて奥州の政治的中枢の位置を占めていました。
明治以降梁川小学校用地となっていた本丸跡を、昭和五十三年から同五十五年に町が発掘調査したところ、各種の遺構とともに十三世紀前半から二十世紀に至る各時代の陶磁器、土器や硯、石臼、銭貨その他金属等が多量に発見されました。これらの資料は、この城の使用年代ならびに政治的地位を良く物語るばかりでなく、本県における中世の考古資料の基準となるものです。
十三世紀から十七世紀前半の製作年代が明らかな陶磁器類を中心に、平成四年三月二十四日付で、県指定重要文化財として指定されました。なお、前出の禅長寺文書も、同じく同日付で指定されました。
梁川城本丸跡出土品