教育福島0165号(1992年(H04)09月)-026page
だ。といった反対の意見が多数を占めた。
それに対して、積極的に賛成ではないまでも、決まったことなので家庭でも主体的に取り組むべきで、「これを機に、学校任せでなく、家庭も地域社会も子供の教育を真剣に考える必要があり、自分の子供をもっと信用していくべきではないのか。」といった現実を現実として対処して行こうという意見も聞かれた。
いずれにせよ県下の小・中・高一斉に二学期から月一回第二土曜日が休日と決定したわけである。
戦後四十数年、日本人は勤勉に努力を重ね、教育・産業の振興を図り、奇跡的とも思われる復興を見せ、今や世界のトップレベルに達するまでに至った。これ程までに急速に発展を遂げた日本人の偉大さには、世界中が注目していると思われるが、必ずしも称賛してくれている国ばかりでは決してあるまい。
貿易摩擦の起こることがある。日本人の多くが正しいと思ってやることであっても、外国人の目から見れば身勝手だと思われてしまうこともよくあり、摩擦も案外この辺が原因で起こっていることが多い。言うべきことは言うが、譲らねばならないことも知るべきであると思う。
少し飛躍し過ぎるかもしれないがこのような現況を考える時、戦後突っ走って来た日本人の、余りにも性急な生き方を小休止しながら、家庭でも、学校でも、地域社会においても見つめ直してみることも必要なことではなかろうか。
学校週五日制を機会に、時には親も勤めを休み、子供と同じ時を過ごし、話し合いの場を設け、来るべき完全学校週五日制への対応を十分に考え、真の「生涯教育」「生涯学習」の時間として生かしていってこそ、今回の学校週五日制(月一回半日)が、有意義な時間となるのではと思えるのだが。
(県立会津農林高等学校教諭)
私を育てたバスケットボール
◆木香織
私にとってバスケットボールは生活の一部であり、大げさな表現をすれば無くてはならないものになっている。今でも教職員チームの一員としてバスケットボールを続けているが、十年間の活動を通して学んだものは大変大きなものがあった。
中学時代、これといって活動してみたい部がなかった私は、ためしにバスケットボール部に入部した。当時私の通っていた中学校は大変荒れていた。私もその流れに乗るように次第に生活態度が乱れてきた一人であった。そんな折、顧問の先生が、部員を集めて、「学校や社会のルールが守れない者にバスケットボールのルールが守れるはずがない。いくら上手でも生活面のだらしない者にスポーツをする資格はない!」と話された。その言葉が今でも忘れられない。あの時、バスケットボールを捨てていたら私の人生は全く別の道を歩んでいたことだろう……。
私がバスケットボールを続けてきた理由は、もう一つある。それはバスケットボールをしている時の自分が一番好きだからだ。上手なわけではなかったが、何もかも忘れてひたすら一つのボールに集中しているとき、私自身一番輝いている時であったと思うし、そういう自分を少し誇ちしげに思うことがあった。何か一つでも自分に誇りを持てるものがあれば、生きていくうえで自信を持つことができるのでないだろうか。
私がバスケットボールとの出会いにより、生きる道しるべを発見したように、生徒たちも自分なりの生き方を見つけられるよう援助したい。それが教師になることを決意した理由でもある。
中学校を卒業するとき、顧問の先生からいただいた色紙に次のような言葉が書かれてあった。「ボールがなぜ丸いのか考えよ。」それまで、バスケットボールを通して一度もそんなことを考えたことがなかった。ボールが丸いのは当然だと言えばそれまでだが、もし四角だったらどうなるだろうか。