教育福島0165号(1992年(H04)09月)-027page
当たり前のことをそのまま通り過ぎるのではなく、そこで立ち止まって考え、考え抜いてこそ初めてその意味が分かる。色紙の言葉はそのことを教えていたのではないだろうか。
教師になってまだ四カ月、未熟な私だが、生徒たちと共に歩み、時には立ち止まり、悩み、喜び合える教師、そして、いつも生徒たちと正面から向き合い、生徒から投げてくる「心」をしっかりと受け止めることができる感性を磨き、生徒に生きる確かな手ごたえを感じさせる教師になれるよう努めたい。
(相馬市立磯部中学校教諭)
笑顔を添えて
菊地富美子
NY・マンハッタン。まさしく人種のるつぼである。原色のスーツにゴールドのイヤリングのニューヨーカー、何かに取り付かれたように道でウッドベースを弾く黒人、お互いのたくましい腕を組みながら愛をささやき歩く恋人たち。ここは、自分が自分らしく生きなければならない街である。
確かにNYは、危険なところもある街である。店のドアはロックされてあり、客をカメラで確認して開ける、夕方になると、マリファナ売りが街に出るようだ。夜中から朝方まで、パトカーのサイレンの音は消えなかった。寝れない夜、羊の代わりにパトカーのサイレンの音を数えたこともあった。
それでもこの街が、妙に優しく感じたのは、街の人の親しみのある言葉である。空港の洗面所でのことである。金髪美人のスチュワーデスといっしょになった。そこに入って来たもう一人もストレートの金髪女性である。鏡ごしに嫉妬の視線かとおもいきや、「わあなんてきれいな髪なの」「ありがとう」……きれいなものをきれいと言える二人が、私にはとてもすてきに思われました。
ホットドック屋のおにいさんもエンパイヤーステイトビルの切符売り場のおじさんもみんな別れ際に、笑顔を添えて、「Happy day」「Nice day」そんななにげない一言がうれしかった。スーパー、銀行、花屋、どこへ行っても、お金と物を交換するだけでは終わらなかった。だれもが気軽に話しかけてくれた。そして「Thanks」「Excuse me」「You are welcome」
私たちが忘れているこの三つの言葉が、この街やこの国にはあふれている。日本にも、You are welcome.「どういたしまして」という言葉はあるが、これほど習慣化されていない。心からありがとうと感謝し、すみませんと相手を気遣う言葉が自然にでてこない限り、「どういたしまして」と人を許す言葉は期待できない。
言葉は、人間社会において重要なものである。言葉が足りなかったり、一言多かったことで、人を傷つけ、惑わす。「ありがとう」「すみません」「どういたしまして」が人を元気づけたりもする。相手を認め合う言葉、相手を思いやる言葉が自然に表現できる子どもになってほしいと思っている。もちろん、笑顔を添えることを忘れないで……
(NY一人旅から)
(古殿町立宮本小学校教諭)
小さなドラマ
豊島俊幸
今年も子供たちの熱い中体連が終わろうとしている。本郷の子供たちの心にも、それぞれの思い出を残し新たな一歩が始まろうとしている。N男もまた、そんな一人である。
彼は大沼郡中学校陸上大会の三千メートルに出場した。彼は体が小さい。だからどうしても体力的に劣る。同じ陸上部のライバルにも、ほとんど負けっぱなし。今年の四月、三年になっての目標はズバリ「下剋上」。彼の気持ちがすぐにわかった。ライバル達に「今年こそ、なんとしても勝ってやるぞ」という思いだったのだろう。彼は頑張り屋。冬でもスクールバスにも乗らず山を越えて走ってくる。家に帰ると、バーベルをもちあげ筋力トレーニング。勉強でも