教育福島0165号(1992年(H04)09月)-029page
る。
外国を旅する時、その国の言葉を一つでも多く知っていると、便利である。時には心が通い合うこともある。「小鳥」を「ぎ」と「り」の中間音で「ことぎ」と発音する一年生を担任している今、一人一人の発音に注意深く耳を傾ける。イタリア語の発音に似ているなと苦笑しながら、余裕を持って対応できる。他国を知ることで、余裕が生まれた気がする。
わずかな期間であるけれど、自分の住む国を外側から見つめるという貴重な体験を得ることができた。
(東村立小野田小学校教諭)
アイスクリームの思い出
野崎俊男
毎年夏になると思い出すことがあります。昭和三十年代の後半、私が小学校の低学年の頃のことです。
当時日本は戦後の復興も終わり、高度成長に向かう時代だったと記憶します。今とちがって、アイスクリームは季節の食べ物で、夏が近づくと駄菓子屋の店頭に大きなアイスボックスが置かれるのを待ちわびたものでした。
その頃はまだ「毎月のこづかい」という習慣もなく、子供達が手にするお金は、家事の手伝いの報酬としてもらうわずかな小銭でした。アイスクリームといっても口にできるのは、五円のアイスキャンディぐらいです。アイスボックスの中で別格に置かれたカップアイスなど食べれるはずがありません。ひときわ目立ったのが五十円のカップアイスでした。その大きさといい、カップの色どりといい、私は次第にその魅力にとっつかれていったのです。
「一生のお願いだから……」。という私の思いを、母親はかなえてくれませんでした。そして母は私に十日間の貯金を勧めたのでした。薪割り、風呂たき、草むしり、しかもお菓子を口にできないという試練の日々が続きました。
かくして十日後、私は念願のカップアイスを食べることができたのです。初めて口にしたその味は、例えようもないほど美味で、十日間頑張りぬいた感動の味でした。貧しいがゆえに、食べることに喜びを感じることができた時代でした。
今、日本はかつて経験したことのないほどの繁栄の中で、無駄使いも豊かさのひとつと錯覚しそうな飽食の時代を迎えています。日本人の捨てる残飯の量は、年間一千万トンに達するといわれています。これは飢えに苦しむ人々二千万人を救える量に匹敵するそうです。
ほしい物がすぐ手に入る現代、食べたい物が簡単に食べられる時代に育ってゆく子供達は、ほんとうに豊かと言えるでしょうか。我慢して、待ちこがれて手にしたときの感激を今の子供達は何を通じて、体験するのでしょうか。
我が家の子供達も、当時の私の年齢に達しようとしています。アイスクリームをほおばる子供達を見て、三十年の時の流れを感じます。
満ち足りていることが必ずしも豊かな心を育てるものではないことを親であるがゆえに、語り伝えなければならないような気がしてなりません。
(いわき市立玉川幼稚園PTA副会長)
ジェントリーの世界と教育
西牧英二
ジェントリーという階級をご存じでしょうか。
十五世紀のイギリスに生まれ、十八世紀頃まで勢力を誇った新興の地主階級です。彼らのジェントリーという呼称から、紳士を表すジェントルマンという言葉が生まれたといわれています。
ジェントリーたちは、決して貴族にはなれない宿命を持っており、ゆえに自らの生き方、振舞いの厳しい規範をつくり、自己を磨いたといいます。紳士と称された彼らは、ぜいたくにおぼれていた当時の貴族よりも真に貴族らしい生活や行動の在り方を示すまでに成長しました。
日本の教育の歴史を振りかえるとき、このジェントリーの逸話が思い