教育福島0166号(1992年(H04)10月)-029page

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われる思いを胸に、また先生の信頼に応えられるように弾こうとする意欲が湧きあがり、緊張の中にも情熱と興奮で一杯だった。本当に感動の二泊三日の研修だった。そして、人的環境のすばらしさ、偉大さ、影響力の大きさ、大切さを体で感じとることができる良い機会となった。

幼稚園教育も、「今、子ども達がやりたい事は何か」「何を考えているのか」「何をほしがっているのか」等の子どもの思いを理解することに努力しているが、「意欲がない」「遊べない」「がまんできない」等と決めつけがちである。「どうしてなのか」という自分の保育を振り返り日々反省し、次への活動につながるような援助ができたら、と思う。教師がむっつり、不機嫌で大きな声ばかりあげていたら、子どもの心は開かないし、子どもの気持ちはとうてい理解できない。登園して一番最初に会う先生が、家元先生みたいにやさしいまなざしと笑顔と生き生きした動作で迎え入れられたら、その日一日安心して遊びをくり広げ、明日への活力に生かすことができるだろうと初心に顧って考えさせられた。

(喜多方市立第一幼稚園園長)

 

一枚の葉書

坂本雅人

 

中学一年の時に担任した生徒からのもので、文面には次のことが書いてあった。

 

五月の中頃、一枚の葉書が届いた。中学一年の時に担任した生徒からのもので、文面には次のことが書いてあった。

「国語の時間に、今までの中で一番印象に残っている先生に、近況を報告するという課題があり、迷わず筆を取った。」ということであった。どういうことで心に残っていたのか、具体的に記述してあれば良かったのであるが、教師の哀しい癖で、恐らくは、いやな思いが心に充満していたのではないか、と想像する。

例えば、入学早々、新鮮な気持ちで、やる気満々であった時に、どういう理由か、彼の生徒の名前だけ間違えて呼んでいたのである。その度に本人から訂正されたのだが、一向に直らなかった。多分、家に帰っても、今度の担任は、自分の名前を覚えてくれないなどと母親に話したに違いない。私自身は悪気はなく、前任校での同名の生徒の姿が強く残っていて、そう呼ぶものだという先入観があったのかも知れない。理由はどうあれ、担任としては見事に失格であり、彼の生徒にとっては、意欲のもてない学校生活ではなかったかと思う。

又、担任でなくなり、気持ちが晴れ晴れした時、バレーボール部員であったため、再度私と出会うこととなった。彼の生徒は、足は速かったが、リズム感に乏しいところがあり、アタックの助走がなかなか出来ず、毎日のように個別指導を受けた。私自身の指導力不足もあったが、部員が少ないこともあり、何とかレギュラーメンバーにしようと期待もしていた。彼の生徒は、私の意図が分かったのか、黙々と練習を重ね、少しずつ上達していった。三年生最後の大会では、ピンチサーバーとして活躍、得点した時の躍動感溢れる喜びは、未だに忘れることはできない。この生徒は、どんなに辛くても練習を休むことなく、よく耐えたと思う。逆に、そういう生徒だからこそ、やりがいを感じたのかも知れない。

現在よく言われることであるが、「一人一人の良さを認め、可能性を伸ばす」ことがいかに大切であり、個々の生徒に合った活躍の場を確保することが、意欲につながるものであるということを再認識したところである。あの時、安易にダメレッテルを貼らなくて良かったと思う。

この生徒が、どうして私を思い出したのかは、定かではないが、この一枚の葉書が、少し若かりし頃の自分を振り返らせてくれた。

高校最後の夏も終わり、進路を考える時期である。辛い練習を乗り越えた力で、頑張ってほしいと願っている。

(相双教育事務所指導主事)

 

メダカの餌

橘美知子

 

メダカが泳いでいる。水そうに餌をまくと、いっせいに食いついてく

 

メダカが泳いでいる。水そうに餌をまくと、いっせいに食いついてく

 

 

 


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