教育福島0167号(1992年(H04)11月)-025page

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昔話を語ってみて

上野淑子

 

ほしたら中から蚕様の“ひる蛾”がぽろっと出てきて、反物は消えちまったと。

 

ざっと昔、夜道歩いていた爺さま河童に頼まっちない、火を分けてやったど。その礼だって貰った反物、「惜しんで使えばいつまでも使われっから。」つった河童の約束守んねで全部解いてしまった。ほしたら中から蚕様の“ひる蛾”がぽろっと出てきて、反物は消えちまったと。

(河童がくれた贈り物)

 

やっと買ってもらった赤いかっこ(下駄)、「晩方でなく、朝に下ろすんだぞ」って母ちゃんがいうのに我慢しとらんにくてない、履いちまった娘、転んだ拍子にかっこの片一方無くしてしまってハァ、捜しているうち、「カッコウ、カッコウ」って鳴きながらお空翔ぶ郭公になってしまったど。

(かっこの話)

 

まだまだいろんな話があるんだよ。

梁川の希望の森公園にある里見庵ではない、毎週日曜日の午後に昔話の好きな人らが集まって、こういうお話を遊びにきたみんなに語って聞かせでんの。

聞いでいる人達、腹抱えて笑ったり涙こぼしながら楽しんでくれでんだげんとも、そのうちない、毎週通ってくる子が増えたり、自分も語ってみっぺ、という人もでできたの。語っている仲間の人らは、毎週毎週里見山に昇るのに、雨も風も気になんねんだって。

なんのことはねぇ、昔話の雰囲気に浸って語るのが楽しいのない。確かに“人前で語る”なんて、最初のころはうんと緊張したったぞい。お話一つを一字一句、丸暗記しなくては、と思い込んでいたんだもの。ほんじもない、語ってみだら、それは違う、ってわかってきたの。

大事なことは、それぞれのお話の楽しさをわかってほしい、という気持、ほして、自分も一緒になって楽しむことだベが、ない。

目を輝かせて聞いている子ども達に、縁側や炉端のぬくもりのような温かい心と、“聞く耳”が育っていったら……。なんだか楽しくなってくるない。

(梁川町立梁川幼稚園教諭)

 

「梁川ざっと昔かるた」より

 

「梁川ざっと昔かるた」より

 

若者たち

児玉洋次

 

この夏、東京の国立劇場で自作の芝居を上演するという夢のような機会を得た。

 

わが湯本高校演劇部は、この夏、東京の国立劇場で自作の芝居を上演するという夢のような機会を得た。

八月三十日、公演を無事終えた我々、生徒三十七名と顧問二名は夕暮れの国立劇場に別れを告げ、宿舎である代々木のオリンピックセンターに向かった。

代々木公園駅で地下鉄から降りて階段を上り外へ出てみると、もう日はとっぷりと暮れていた。

「先生、早く、早く!!」

生徒の声が聞こえた。先に行ったはずの生徒が五・六人、暗い歩道で我々を呼んでいるのだ。思わず緊張する。近づいて見ると、彼らの真中に一人の外国人の青年が立っていた。小柄で生徒たちの方が大きいくらいだ。暗い中でよく見ると、素直そうないい顔をしていた。

同行のT先生が英語の先生だったのは青年にとって幸運であった。T先生と青年の会話で、青年はフランス人で、東京に住んでいる友人を訪ねて今日着いたことがわかった。その友人に何度も駅から電話したが通じなくて困っていたのだ。青年の持っていたメモの住所は確かに代々木公園の近くらしい。とにかく誰かに聞こうと、T先生を先頭に歩き出した。しかし、運悪く我々の進んだ方は代々木公園の長い塀が続いて人家はしばらくない。気がつくと生徒たちはそれぞれ青年の荷物を持って歩いていた。大きなボストンバックをミーコとノブコが二人で持ち、ギターのケースを順一、豊田は手提げの紙袋をもっている。それでも青年自

 

 

 


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