教育福島0167号(1992年(H04)11月)-028page
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きるようになり、ここに選手たちとの一つの絶対的信頼関係ができたと考えている。
担任として私は、大会、審判、国体の合宿、国体と出張することが多く、学校にいない先生だと生徒たちに思われている。従って大会などから帰ってくると、クラスの生徒に「お久しぶりですね。」と皮肉とも、本音ともとれるあいさつをされることがある。この言葉は私にとってきつい一言でもあり、また嬉しい一言でもある。なぜなら、そういうことを言う生徒に限って、私がいない時にしっかりした生活をしているからである。
日ごろ私は生徒たちに「先生が見ていない所や、先生がいない時に君たちの評価が決まる。だから、私は他の先生が体育科の生徒をほめてくれる時が一番嬉しい。そして、それが君たち一人一人と私の間の信頼関係になっていくんだよ。」と言っている。しかし、まだまだ出会って数か月、生徒たちについて知らないことがいっぱい。でも、部活動の生徒にも負けないくらいの信頼関係を作ってみせる。絶対に……。
私は、今、毎日少しずつではあるが、個性豊かな多くの生徒たちと一生分の信頼関係を現在進行形で築いている。
(福島県立田村高等学校教諭)
忘れられぬ拍手
岡崎寛人
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私が教員となって間もない頃、先輩の先生から「応援団の指導を手伝わないか」と声をかけていただきました。私は学生時代にその経験があったので、自分が役に立てるのならと引き受けることにしました。
中学生ぐらいの年頃には、応援団のように人前で大きな声を出すことは恥ずかしいものなのかも知れません。まして、自分でやりたいと思っていなければなおさらのことです。初めての練習のときの生徒は、声は出ない、手足は動かないというやる気のないものでした。
大きな声を出し、どなりつけてやらせることは可能かも知れませんでした。しかし、やる気のないものをどなりつけてやらせることは、生徒の主体性を引き出す指導にはならないという考えが私にはありました。そこで、生徒に「やってみたい」と思わせるには、まず良いものを見せることではないかと考え、私自身が応援の型をやって見せました。生徒たちのイメージは、それまでとはまったく違っていたようで、驚きやとまどいが見られました。でも、少しやる気が出てきたようでした。こうして私の応援団指導が始まった訳なのですが、実はこの時の生徒はたったの三人だったのです。
三人の生徒と私は、昼休みと放課後を利用して毎日練習に励みました。「どうせやるなら良いものを」が合い言葉でした。彼等の最初の目標は、中体連の壮行会の前に中庭で練習の成果を発表することでした。(中庭は、すべての教室から見えるので)発表までは、体育館の裏や校舎の際で人知れず練習をしました。
発表の日が近づくにつれて、生徒たちは不安になってきたようです。「失敗したらどうしよう」「笑われたらどうしよう」と口にするようになりました。しかし、「全校生徒に良いものを見せよう」と互いの気持ちを一つにし、発表当日を迎えました。
昼の放送が流れ、三人の応援団が中庭の中央に立ち、応援が始まりました。全校生は何事かとベランダから彼等に注目しました。そこでまず起こったのは、大きな笑いでした。ゲラゲラと笑われ、指さされながらも三人は応援を続けました。すると不思議なことに少しずつ笑いが静まりはじめました。中庭には三人の大きな声だけが響き、最後にエールをきり、応援が終わりました。少し間をおいて、拍手がおこりました。その拍手は徐々に大きくなり、彼等を包むように鳴り響きました。その中で彼等は、大粒の涙を流していたのでした。
(古殿町立古殿中学校教諭)
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