教育福島0167号(1992年(H04)11月)-033page

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がるクラス)、大学、一般、職場と小学校部門はそれぞれ一団体です。さらに東北大会から全国大会に推薦されるのは、中学と高校部門はそれぞれ三団体、その他の部門は各一団体ですから、非常に狭き門です。この激戦を通り抜けて全国大会で毎年のように入賞できる本県代表のレベルの高さをご理解いただけると思います。

また、最近の吹奏楽の普及は目覚ましく、吹奏楽人口が年々増加しております。特に小学校から高等学校まで吹奏楽に親しんだメンバーが社会人となり吹奏楽を愛好している人々の集まりである社会人の団体は、いづれも五十人以上のメンバーを有し、その数は二十五団体と東北一で、その内容も年々充実しております。

吹奏楽団のもつレパートリーは広く、クラシックのアレンジやオリジナルの音楽はもとよりポピュラー、民謡、童謡そして演歌に至るまであらゆるジャンルの音楽を演奏することが可能です。その特性を生かして、社会的な行事への参加要請は多く、一般バンドを中心にボランティアの演奏活動や、海外での親善演奏なども盛んに行われ、ますます活動の範囲が広がっているのが現状です。

平成七年には「第五十回ふくしま国体」が開催されますが、これに伴い吹奏楽の必要性は益々高くなって参りました。

秋季国体の開閉会式には、六百人の吹奏楽隊と六十人のファンファーレ隊の演奏が予定されておりますが、この他冬季、夏季の大会また各種目の開始式に必要なバンド、それにマーチングバンドを加えると、膨大な数の吹奏楽団員が必要になります。これに伴う楽器の充実と演奏技術の向上及び指導者の養成は連盟の抱える大きな仕事の一つとなります。しかしこれを機会に本県の吹奏楽が飛躍的な発展を遂げることを期待して、連盟の総力を挙げて取り組みたいと考えております。

今年は、連盟発足三十年を記念して十二月五日、福島市において記念式を行い、今まで連盟を育ててくれた先輩の皆様や、連盟の発展に力を添えて下さった方々に感謝の意を表するとともに、連盟の歴史と現状を綴る記念誌の発行を予定しております。また記念行事として十一月十五日には、会津若松市において「東北吹奏楽の日」の演奏会を開催いたしました。

 

第17回福島県吹奏楽トップコンサート 於平市民会館 平成4年6月7日

 

第17回福島県吹奏楽トップコンサート 於平市民会館 平成4年6月7日

 

県川柳連盟設立と活動の経緯

代表 高野六七八

 

「川柳を県文学賞に」、を合い言葉に大谷五ヶ村ゆかりの地白河市に県内の川柳愛好家が集まり、福島県川柳連盟が創設されたのは、昭和三十七年十月のことである。初代会長、山中鹿之助氏(白河)、副会長加藤香風氏(いわき)、いがり柳王氏(郡山)、新井栄太郎氏(福島)、がそれぞれ推薦され、県川柳連盟の新しい活動が始まった。それまでは地区別に細々と例会程度の集まりだったが、発足と同時に県芸術祭に参加、「第一回芸術祭川柳大会」を打ち上げ、県内各所から大勢の柳人が集まり予想以上の賑わいであった。以後開催地も県内六地区を持ち回りにし、今まで燻って居た柳人の人気を集め、参加者も年々増加し、以来連綿と継続、今年で第三十一回目を数える。

この間、各地区の川柳行事や記念大会では、県川柳連の役員が指導に当り、県下の柳人に連帯感が芽生えて、連盟に対する信頼が日毎に高まった。

昭和四十八年には、川柳の人気が非常に高まり県都福島で「第一回県川柳大会」を開催、秋の「芸術祭川柳大会」と共に県下二大行事として盛会をきわめ現在に至っている。この様に県川連の基礎をがっちり固めた山中会長も連続六期十二年の長期にわたる活躍のため高齢となり、昭和四十九年惜しまれつつ引退する。その総会の席上でやぶうち三石氏が、満場一致で二代目会長となり、副会長には加藤香風氏(いわき)、鈴木花迷子氏(白河)、吾妻柳郎氏(福島)、高橋巷風氏(郡山)、の豪華な顔触れがそろう。昭和五十一年からは馬場舞蜂氏が局長として加わり、連盟の加入吟社も二十社となり、三石〜舞蜂の名コンビのもと川柳普及の宣伝文句が効を奏し、県川柳連盟の活躍は東北六県の注目の的となった。

昭和五十年、新アイデアとして「県川柳連盟会報」第一号を発行。連盟の行事予定や各地の要望等、豊かな情報を発表し、連帯意識と交流を更に深め首尾は上々、今年で第十七号

 

 

 


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