教育福島0167号(1992年(H04)11月)-034page

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昭和五十六年には、県下柳人の永年の夢であった「県川柳賞」が、連盟の努力でようやく実現し、第一回県川柳賞は、郡山の佐久間蘭さんの頭上に輝いた。毎年素晴しい作家が誕生し今年で第十二回を迎え、応募者も年々増加し、遂に百名の大台を突破した。

やぶうち三石会長は、常日頃川柳の文学性を強く主張、「県川柳大会」や「県芸術祭川柳大会」には特に力を入れたので、県外からの参加者も目立つようになり、交流が一層盛んになった。

傘寿を迎え尚矍鑠(かくしゃく)であった三石氏も病いには勝てず、昭和六十一年六月、遂に不帰の人となった。享年八十一歳。昭和四十九年から十二年の長期にわたり県川柳界に名会長として君臨し、敏腕を振るった功績は大きく、誠に惜しい人物を失ったものである。

県川柳連盟結成以来三十年、ここまで来るには様々な紆余曲折を経た訳で、現在の隆盛の際に数多くの先輩柳人の汗と涙の労苦を決して忘れてはならない。事あるごとに会長を中心に苦難を乗り越えて来た見事な結束と連帯感、現在県下二十三吟社を軸に会員二千人を越す大所帯である。運営は決して楽ではないが、的確な情報のもと年々会員も増え、前途は洋々たるものがある。比処で忘れてならないのが、佐藤義人局長を軸とした事務局員名コンビの大車輪の活躍である。「県川柳大会」や「芸術祭川柳大会」は言うに及ばず、その他の大会にも顔を出し陰の援助を惜しまない。「県川柳賞」や「三石賞」の応募には特に力を入れ、応募者を倍増させたのも事務局の力である。その他各種助成金も徐々に増額させている手腕も見逃がせない。何と言っても最高の栄誉賞、「文化振興基金顕彰」を川柳の部で三年連続獲得した功績は大いに評価される。また常に各吟社間の公平を計り円満を旨とする信条が、末端まで浸透し、良い纏(まと)め役となっている。

何はともあれ、川柳のブームは時代の要求であり流れである。高齢化の進む現代社会において、十七文字のドラマが万人を感動させ、社会を明るくし人生を楽しくしてくれる。この素晴しい一行詩を生涯学習として学び、人の和を大切にして、二十一世紀に向けて大いなる前進をしたいものである。

 

第十二回県川柳賞作品の紹介

にんげん賛歌 青山吐句造 会津

 

葦になり風に妥協をくり返す

小さな幸こぼさぬように生きている

底辺にいて生真面目な一円貨

ひとりっ子天地無用と言う過保護

娘を奪う風に腕組みばかりする

 

福島県高等学校文化連盟

 

福島県高等学校文化連盟

事務局長 大和田修

 

福島県高等学校文化連盟(高文連)は、県内における高等学校および高等部を置く養護教育諸学校の文化活動の健全な発展・向上を図ることを目的として、昭和六十二年に発足した団体である。それまでも各高等学校には、美術部や合唱部をはじめとして数多くの文化部が存在し、それぞれが地区や県規模の組織を有していたところであるが、それらの文化活動に関わる団体が、一つの旗の下に結集することによって相互に協力し、文化活動の更なる充実・発展のための大きな力を発揮できるようにとの思いから、本連盟が組織されることになったのである。

これまで、演劇・合唱・美術工芸などの専門部から、高校生の国際理解や国際交流の促進を図る国際教育専門部、赤十字の精神に基づく、ボランティア活動などをしているJRC専門部に至るまで、全部で十九の事門部が本連盟に加盟しており、結成当初からくらべると、組織・活動内容共に年々拡大と充実を見せている。また、県内の公私立の全高等学校が本連盟に加入し、約九万名の高校生がその活動を支えている。

福島県高等学校総合文化祭(高総文祭)の開催は、本連盟の最も中心的な事業である。これは加盟各専門部の日頃の練習や研究の成果を発表し、学び合う機会として、毎年県内五地区のもちまわりで開催されているもので、第十一回を数える。今年度の高総文祭は、県北地区を中心に行われた。各専門部の事情により、開催期間は四月から十一月までの長期間にわたるが、七月十日には、福島県文化センターにおいて、県教育長をはじめとして、専門部の代表、

 

 

 


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