教育福島0167号(1992年(H04)11月)-035page
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各地区の代表など、約二千名が参加して、総合開会式が盛大に挙行された。第一部は式典で、今年度の総合文化祭の開会を宣言すると共に、功労者の表彰、今年度新たに制定された県高文連シンボルマークの披露等が行われた。第二部では、県北地区を紹介する映像構成、伝統太鼓の演奏、合唱等のステージが繰り広げられ、出演した放送・演劇・音楽等の事門部の生徒と、県内各地から参加した文化活動に励む生徒達との交流・交歓が行われた。
全国高等学校総合文化祭への県代表生徒の派遣も、高文連の主要な事業の一つである。全国高総文祭は、高等学校文化部のインターハイとして、毎年各県もちまわりで開催されているもので、千葉県で開催された第一回大会以来、今年度の沖縄大会で十六回を数えるものである。沖縄大会では、八月三日から七日までの五日間、那覇市、宜野湾市等の各部門の会場で、全国から一万五千名の高校生が集い、作品の展示、練習や研究の成果の発表、交流会、合評会等が行われた。本県からは、演劇、合唱、美術工芸、写真、書道、放送文化の各専門部から六十四名の生徒が参加し、大会後半、台風が沖縄を直撃し、帰りの飛行機が欠航するというハプニングもあったが、それぞれ全国の仲間たちと共に学び、友情の輪を広げてきた様子であった。
中でも、唯一コンクール形式で行われた演劇部門では、東北地区代表として出場した湯本高校演劇部が、顧問である児玉洋次教諭の書いた「それぞれに如月」という、現代高校生の抱える問題を題材とした作品を上演し、好評を博した。審査の結果、四校の優秀校の一つに選ばれ、八月三十日に開催された「全国高総文祭優秀校東京公演」に招聘され、国立劇場の舞台を踏むという活躍を見せてくれた。
この他の高文連の事業としては、各専門部の研修会や講習会等に対する助成、県内の高校生に質の高い芸術を鑑賞する機会を提供する啓発助成事業、また、活動内容を広く連盟内外に理解してもらうための会報・記録集の発行事業等がある。
本県の高文連が発足して六年目が過ぎようとしているが、同じく高校生の活動に関わる組織「高体連」や「高野達」ほどには、一般に知られていないというのが現状であろう。もとより歴史的には、それらに及ぶべくもないが、本連盟も草創期を過ぎ、発展・充実期に入らねばならない所にさしかかっている。高校生がそれぞれの活動の中で、文化を継承し、育て、新たな創造につなげていく力を身につけられるよう、今後一層組織や事業内容の拡充に努め、十分な指導や援助ができるようにならなければならないと考えている。
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福島県書道協会
事務局長 続橋砕雨
本協会は、昭和二十四年五月、会長に当時の福島大学学芸学部長(現教育学部)であられた栗村虎雄氏、理事長に同大学書道科の藤本正(号竹亭)氏を推して設立された。
戦後、国家神統に低触すると見られた書道は、一時廃止の憂き目を見た。しかし復活に尽力し、習字教育を再確認し、すなわち書を通しての人格育成を念じ、その結論として、情操教育、精神教育のためには、書は不可欠のものであること、更にその目的達成のためには、相互の協力と研鑚が必要であることを確認し合い、ここに福島県書道協会が誕生したのである。
第一回展(昭和二十四年)は、小・中・高・大学の「七夕展」(現たなばた展)と合同で、主に臨書を中心に、四十点余のものであった。場所は、中合デパートであったが、それでもこの展覧会は、県下の書展のトップを切るものとして注目を集めた。
その後、会長の県教育長就任や会津短期大学長へのご栄転等、諸般の事情もあって、展覧会の開催は中止されたり、縮少されたりしたものであった。
しかし、県内の書愛好家の要望も強く、会員の意気もあがり、昭和四十年八月、第五回展を期に陣容を整え、新会長に高橋藤園、副会長斎藤芳龍、理事長藤本竹亭の各氏を擁し
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