教育福島0168号(1993年(H05)01月)-023page

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随想

日々の想い

 

心機一転

鈴木博之

 

八月。本校ではPTAの奉仕による水生植物園建設が連日続いた。

 

八月。本校ではPTAの奉仕による水生植物園建設が連日続いた。

とにかく暑い。ふき出した汗が太陽の照りで蒸発し、またふき出す。にもかかわらず、働く父親たちはみんな陽気だ。

自分の力を注ぐように、スコップで土を掘っていく。

足手まどいにならないように土にまみれていると、七年前の日々がぼうっと浮かんできた。

七年前。

スコップを持つ手がしびれた。寒さのせいだ。土も凍り、スコップが金属音を立ててはね返される。ジャンパーの襟を立て、自分の吐く息で暖を取った。涙が出てきた。

一週間前まで、それこそ夜討ち朝駆けの広告会社に勤めていた。しかし、教員の夢がふくらみ、抑え切れずに会社を辞めた。

教員免許を取る間、食べていくため土木作業に就いた。なまっていた体にはこたえた。

作業員の多くは現役を退いた農家のおじいさんやおばあさんだ。孫も何人かいて、普通なら家でのんびりしている年寄りだ。

生活が苦しいのか、と考えながら一緒に働いた。

彼らの弁当に驚いた。

飯がぎっちりとつまっていて、はじっこにちょこんとしょっぱそうな塩びきと清物が乗っていた。弁当箱は傷だらけで、とても大きい。彼らはもりもりとほおばり、平らげる。圧到される食べっぷりだ。ただ、入歯なので固い清物をおすそ分けしていたのには笑った。

筋肉にも驚いた。驚いたというより、若者なのに負けている自分がはずかしく思えた。彼らは筋肉を盛り上げ、土を掘って、掘って掘りまくった。掘ることで土から力をもらい、その力を土に返すように、また掘った。

掘り上げた土さえ、いとおしむように大切にした。土に命があると感じさせるような仕草だ。

長い間農業で食べてきた彼らにとって、土は糧を生むものだ。土によって生き、同時に土を生かしてきたのだと思った。

親しくなってから、彼らの生活は裕福で、ただ生きがいとして働いていることを教えてもらった。

新しい道を歩きたくなったとはいえ、不安だった自分には、彼らの生き方が何よりの励ましのように思え、彼らと一緒に働くのがうれしかった。

「よかったな、あんちゃん。」

採用を知らせた時に、日焼け顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。

(大信村立大屋小学校教諭)

 

夢みるおばさん

村田奈緒美

 

学二年生のことである。思えば、これが、私の夢見人生の始まりかもしれない。

 

私は、よく夢を見る。それも一晩にいくつも。映画なら差し詰め「三本立て」。映画と違うのは、無料であること、いつも完結するとは限らないこと。時間切れで、いい場面を見逃したことも少なくない。その続きを見たいと思っても、次の夜は全く別の話。一度だけ、二夜連続で続き物を見たことがある。二晩目は完結編。小学二年生のことである。思えば、これが、私の夢見人生の始まりかもしれない。

最近見た夢では、我が息子を叱咤激励?している場面があった。

「もっと強くなれ!お母さんの子なんだから強くなれるはずだ。」

 

 

 


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