教育福島0168号(1993年(H05)01月)-024page

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なんて、夢にまで子供に圧力をかけている。子供もかわいそうである。夢の中だけでも優しくしてあげたいのに。叱りすぎることへの警告か。

同僚もよく登場する。夢の中で目一杯文句を言って、翌日、何だか申し訳ないような気分になったこともあった。日頃から、言いたいことは言っているのに、まだ足りない?

ある時は、独身のN先生の恋人が出てきた。もしかして正夢?なんて思っていたら数日後、別の女性が夢に登場。実在の人物かどうかはわからない。T先生の家に道場を存在させた、S先生には隠し妻がいた、などと、とんでもないものを見てしまったり。よく見るのは、提出期限が迫っていて悪戦苦闘している夢。これは疲れる。できれば見たくない夢である。(この原稿も夢を見ないうちに仕上げなくては・・・。)

現実的なものから非現実的なものまで、内容はさまざまである。実におもしろい。ただ、残念なことに、見たいものがいつでも見られるとは限らない。また、見なくてもいいものを見てしまう。夢の中で、何人殺したことか。事故死、病死、あるいは突然死。これだけは正夢にはしたくない。気になって実家に電話する。元気そう、安心!

夢占いがある。よい結果であればいいのだが、悪い内容だと気になって、それこそ、うなされそうな悪い夢を見てしまいそう。だから、あまり夢占いの本は見ないようにしている。

いろいろ考えながら自分一人で楽しんでいる・・つもりなのだが、職員で大声でする夢の話。聞かされるほうは、いい迷惑?おもしろくも可笑しくもないだろうが、話さずにはいられない内容が多いのなんの(と、結局、自己満足している。)

これからは、毎日、克明に記録し一冊の本にしてみようか。

「夢見るおばさん夢日記」

とでも題して・・・。

(矢祭町立矢祭中学校教諭)

 

贈りもの

高橋幸司

 

「人は皆、心は父の贈りもの、辱しめるなよ、おのが心を」

 

「人は皆、心は父の贈りもの、辱しめるなよ、おのが心を」

「人は皆、体は母の贈りもの、傷つけるなよ、おのが体に」

 

私は昭和三十六年七月八日、県北の山間部東和町に産声をあげました。今でこそ東和ロードレース等で有名になっておりますが、私が小学校の頃は、ほとんど他の地域と交流のない農村地帯で、茅葺き屋根の古い家が山あいに点点としており、遊びと言えば、カンケリ、カクレンボ、ナワトビ、鬼ゴッコ、冬になれば、ソリ滑り、雪合戦等々自然と一体になったものでした。もちろん、遊びにだけでなく仕事の手伝いもしました。風呂焚キ、マキ割り、草刈り等々自分から進んでか、あるいはそういうこともありましたが……。

このような中で育った私は、現在のようなスピードにあふれた時代には、ふさわしくない一人なのかも知れません。一方から見れば、こんな経験の出来たことは、大変ありがたく感謝さえしております。私がこのように思えるのも、ひとえに両親のお陰と言うほかありません。

父母は「水」のようです。四角の器に入れれば四角になり、丸い器に入れれば丸くなる。正に自由自在で私が何を言っても受けとめてくれる。ある時は洪水のように警告を与えてくれ、またある時は、一滴一滴の水が石を穿つように、辛抱強く待っていてくれる。正に父母の力は偉大です。

どれ程両親に心配をかけたでしょう。一歳にもならぬ頃、幼稚園の頃、小学校三・四年生の頃、中学校の頃、高校の頃、大学入学の頃、大学在学の頃、社会に出てからも……、それぞれの時代に大変な心配をかけています。ただその中で一番と言われれば、大学を卒業してからのことです。一定の職に就かず、運送会社や、弱電会社を転転としていた私は、母が階段を踏みはずし、肋骨を折ったことも知らなかった。義兄に聞かされて初めてそれを知り、泣いても泣ききれない思いでした。親を無視した私の行動は、父からもらった心を唇しめ、母からもらった体に傷つけていたのです。

父母は、「水」のように何も言いません。しかし、その「うしろ姿」は、私がこれから生きて行く、人生の糧となるでしょう。

(県立猪苗代高等学校教諭)

 

 

 


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