教育福島0168号(1993年(H05)01月)-026page

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ストなるものはないが、今、話題の業者テストがその役割を果たし、高校を何らかの形でランク付けしている。また、神奈川では、学力レベルの高い生徒を多く抱えているのと同時に、学業不適応の生徒の多さに悩んでいる。遠くから見てばかりで、内実には踏み込んでいない。このことは、両県の教員への戒めではなく、自らへの戒めとしなければならない。

ややもすると教員は視野が狭く、ひとりよがりになりがちである。現在、私は教員生活が二ケタに突入している。毎日の仕事に追われ、そして、疲れが出ると、生徒に対し、「今の生徒は」とつぶやき、社会に対しては、「学校の実態を知らないくせに。」とグチを言う。本当に自己中心の考えに頭が支配されてしまっている。今こそ、「隣りの芝は…」の愚かさを自らに言い聞かせ、柔軟で多面的な思考を心がけねばならぬ。更に多様化する生徒に対応していくために、現状に甘んじることなく、嘆くことなく、多くの物を見、多くの事を聞かねばならぬ。又、実践を積み重ねなければならない。

もし事情が許せば、西日本で教員をやってみたいと思うが……。

これが今日この頃の私の心境である。

(県立川俣高等学校教諭)

 

二人の用務員さん

鈴木英孝

 

も陰ながら学校を支えてくださった用務員さんの協力を忘れることができない。

 

私が勤務させていただいた学校は現在まで七つを数える。それぞれの学校で出会った児童生徒たち、先生方、地域の方々が懐かしく思い出される。同時に多くの方々のご指導とご協力に感謝している。中でも陰ながら学校を支えてくださった用務員さんの協力を忘れることができない。

Sさんは学校に住み込みの用務員さんである。夜間の校舎巡視を始めごみの収拾、ごみの焼却、水道やトイレの補修などの仕事をしていた。大規模なので一人で巡視すると約一時間かかり、ごみはリヤカーに二、三台にもなった。授業中、ふと校庭に目をやると、リヤカーを引くSさんをよく見かけた。また、雪の日、Sさんは決まって児童の昇降口から雪掃きをした。子供の登校が大変なので、子供が歩く道を作るのだという。私が出勤すると一人で黙々と雪を掃いていた。Sさんの姿を見て先生方も児童たちも一緒になって雪掃きをした。

Yさんは小規模学校の用務員さんである。学区内に住み、家業の農業を行いながら用務員として勤めている。仕事熱心で、特に花壇の手入れには力を入れていた。菊作りに腐葉土は欠かせない。児童が秋に集め腐食させた木の葉を次の年の夏に乾燥させ、細かく砕いて腐葉土を作った。ある日曜日、用事があって学校に寄ったところ、Yさんが一人で乾燥した木の葉を細かく砕いていた。私も手伝ったが、身体中がほこりにまみれそれは大変な仕事だった。本当に頭の下がる思いであった。また、砕石のいっぱい詰まった校門の一角に花壇を造った。砕石は完全には取り除けなかったが、土を寄せ堆肥をたっぷり入れたその花壇には毎年カンナやダリアの花が見事に咲いた。図工の時間、花壇の前で画用紙をひろげ花を写生している児童の姿を笑顔で見ているYさんが印象的だった。

この二人の用務員さんは、いつも他人の気付かない所で黙々と働いていた。どんな仕事にも誠意をもって当たってくれた。私は用務員さんが手を汚し、身体を使い、額に汗し、学校や子供たちのために働いていた姿を今でも忘れることができない。

今年の冬は寒さが厳しいという。例年になく雪も多いと聞く。二人の用務員さんのご健康とご多幸を祈らずにはいられない。

Sさん、Yさん、本当にありがとうございました。いつまでも私の心に残っています。

(教育センター学校経営部経営研究係長)

 

 

 


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