教育福島0168号(1993年(H05)01月)-027page
放課後の教室で
池田照美
四月、私は初任者として小名浜第三小学校へ着任した。いわきは、この時期になるともう桜の花が咲き始める。私を歓迎してくれているかのようである。
五年二組を受けもつことになり、教室入口の「担任池田照美」の札を見て、何となく気はずかしかったが、夢と希望で胸がいっぱいであった。
あれから八ヵ月、教師という職業について、今思うことは、日々研修が必要であるということだ。
本校には、長い教職経験を持つ先輩がいる。その先輩の学級経営や子どもと接する姿を見ていると、すごいなと思う一方、私は教師には向かないのではないかと落ちこんでしまう。私なりに考え、いろいろと取り組んでいるつもりなのだが、なぜか子どもの反応は良くない。そんな毎日が続くと、自分自身の中に焦りが出てくる。焦れば焦るほどうまくいかない。
私は、昨年までの間に講師経験があるが、その時に出会った先輩の先生に「教師の資質は、センス、アイディア、ユーモアの三つだよ。」と言われたことを思い出した。経験などほとんどない私が、先輩たちと同じようにやろうと思うから難しいのだ。少しばかりだが、私の持つセンス、アイディア、ユーモアを精一杯出し切って、子どもたちにぶつかっていこうと思った。何もないところからの出発であるためやはり時間がかかるが、そのかかった時間や苦労などを忘れてしまうくらい、子どもが反応してくれるとうれしくなる。うれしくて涙が出たこともあった。こんな時、子どもと私の距離が近づいたような気持ちになる。
四月から今日までの私の生活を振り返ると、落ちこんでみたり喜んでみたり涙を流したりの連続である。しかし、苦しみも喜びも二十四名の子どもたちがいるからこそ味わえるものだと思う。幸せである。
子どもの帰った静かな教室で、教材研究をしながら一日を振り返る。とても充実した時間である。明日もまた二十四名の子どもの顔がこの教室に揃うことを考えると、ほっとした中にもわずかな緊張感が生まれる。
(いわき市立小名浜第三小学校教諭)
豊かな自然の中に
星美智子
ひととき美しく紅葉した山々も、いつしか晩秋の憂いを漂わす。そして間もなく会津に長い冬が訪れる。
昭和五十三年四月、私は他県から南会津の教員となった。今では、南会津郡館岩村に本籍を持つ会津人である。南会津と私の郷里栃木県北部とは昔からのつながりがあり、深い雪の時期の仕事を会津に求めて行った人々の話を、父や祖父から聞いていた。また、会津方面を訪れる機会も何度かあって、「会津」という響きが何よりも好きだった私は、何の不安もなく喜んで着任できた。
ただ、半分旅行気分で着任した私が、そこに居を構え、教職に就く事になっても、一人で何もできる訳はなく、職場や地域で多くの方々にお世話になったことは言うまでもない。お陰様で今日までやって来れたことに対し感謝の気持ちで一杯である。
目の前にある本物の豊かな自然。しかし、自然はいつも優しくはない。会津の冬は厳しい。あの美しい雪が恐ろしいものでもあることも分かった。鉄棒を曲げ、屋根を押しつぶす雪。そして厳冬。今までこれほどの寒さを経験したことはなかった。冷えて冷えて時間までもが凍っているのではないかと思われるような朝がある。その冷えきった景色の美しさは格別だ。また、自分の鼻毛が凍ったのには驚かされた。息を吸うと鼻の中がもぞもぞとし、息を吐くと溶けると言った具合なのだ。ところで、南会津も近年随分変わって来た。交通機関の充実もその一つである。道路が整備され、トンネルが開通し、鉄道が通り、当時からすれば夢のような話である。実家への帰省時間も半分に短縮され、夫婦喧嘩も安心して出来るようになった。有難いことだと感謝している。