教育福島0168号(1993年(H05)01月)-049page

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博物館ノート

八葉寺奉納小型納骨塔婆

八葉寺奉納小型納骨塔婆

この木製五輪塔は、河沼郡河東町大字広野の八葉寺に奉納されていたものです。八葉寺は、寺伝によれば空也上人の開基とされています。『新編会津風土記』などによれば、古くは九品念仏(くほんねんぶつ)の一流(いちりゅう)であったといいますが、天正のころにはすでに会津若松市に現存する真言宗金剛寺の末寺(永兼帯所)になっていたことがわかります。

八葉寺の一帯は、会津高野山と呼ばれる会

津地方第一の霊場となっています。もとは七月一日から十一日まで、現在は八月一日から七日までこの寺の阿弥陀堂の祭りが行われます。この

期間には、冬木沢まいりとか高野山まいりなどといって多くの参詣者が集まって来ますが、特に五日は空也念仏踊りが行われるのでにぎわいます。この期間に、家族に死者があって三十五日以上過ぎている人は、供養の為

にお詣(まい)りするという信仰があります。この時奉納されるのが木製五輪塔で、これは中に死者の歯や骨、頭髪などが納められた納骨塔婆です。もとは阿弥陀堂に奉納されていましたが、大正十五年に堂を解体修理した際五輪塔

を奥の院に移したのを機会に、現在のように奥の院に奉納するようになったといわれています。

八葉寺に現存する五輪塔でいちばん古い記銘をもつのは文禄五年(一五九六)のものであり、奉納者は会津若松市を始め、「河沼郡、大沼郡、耶麻郡に広がり、一部南会津郡からの奉納もみられます。

(国指定重要有形民俗文化財)

祭りの日の奥の院

祭りの日の奥の院

祭りに奉納された木製五輪塔

祭りに奉納された木製五輪塔

は15センチメートル。江戸時代末までは奉納者手作りが多く、形に違いもある。

木製五輪塔大きさは7から23センチメートルとまちまちで、平均は15センチメートル。江戸時代末までは奉納者手作りが多く、形に違いもある。


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