教育福島0169号(1993年(H05)02月)-021page
教頭になって思うこと
浅野テル子
私が教頭になってしみじみと考えることが二つある。
その一つは、魅力ある女性の管理職者とはいかにあるべきかについてである。
「教頭先生、お客さんです。」私は急いで玄関に出る。来客から返ってくるのは、「教頭先生に用事があるのですが。」という言葉である。私にとってはきつい言葉である。教頭としての風格が身についていない私の困った顔をみて、「あ!女の教頭先生ですか?」と目を丸くする。こんなことが何か月か続いた。「中学校での女性教頭」にあまり馴染みがないので仕方がないことと思いつつ、現在の自分のおかれている立場の重さを実感している。
目まぐるしく変化する社会の中で「男女の平等」や「一人一人の社会的自己実現」を唱える教育者としてまず、自分の生き方を深く問うことがある。そのような時、いつも県女性校長・教頭会でお世話になった先生方の姿を思い出す。彼女たちには、女性としての美しさと管理者としての風格が不思議なほどに調和し備わっている。その魅力は、ゆとりある生活の中で、自分自身の個性(能力)を教育の仕事に思う存分発揮している満足感と心の豊かさから生ずるのであり、「仕事に対する真摯な態度と厳しさ」に支えられている。私もそのような魅力にあこがれ真似ようと思うが、どうも人間的豊かさやゆとりのない自分に気が付く。
現在、日本の教育界においても、いろいろな労働条件の改善が進められている。そんな中で一人でも多くの魅力ある女性の管理職の誕生を期待したい。
二つめは、後輩を育てることの重大さについてである。
私が教師になった頃は、初任者研修はなかったが、たくさんの先輩の先生方から「教育は、人を変える。」という教育の信念を後ろ姿で教えていただいた。そして数多くの貴重な教育の可能性について体験することができた。しかし、このような先生方が勇退され、学校教育の道を去られていく姿を拝見するたび、一抹の不安と寂しさを感じる。また、それと同時に後輩を育てることの重大さに気付く。従って、若い先生方のすばらしい授業や学校行事等での個性あふれる企画運営にあたっている姿に接するたびに、私はとてもうれしくまた頼もしく思えてならない。
今後、女としての生き方を大切にするとともに、先輩の先生方の教えを若い先生方に伝え、子供たちの教育のために尽力していきたい。
(福島市立北信中学校教頭)
失うものの大切さ
小澤繁政
−ホタルはこう言っている−
「人間は自分の都合のいいように自然を壊しながら開発していく。おかげで川は汚れ苦い水ばかり。私たちは食料不足になり友だちもみんな死んでしまったのよ。昔のようなきれいで甘い水を返して!!死んだ仲間を返してよ!!あなたたちは知ってるの、一度失われた自然を回復するのはきわめて困難なのよ。緑の大切さを知らなすぎるわ。得るものの大きさはわかっても、失うものの大切さは失ってからじゃないとわからないのよ。」
これは、ホタル委員二年Y子の「ホタルの一人ごと」の一節である。
本校は村の「ホタルの里づくり」と文部省指定「奉仕等体験学習推進校」を機に体験学習の一つとしてホタル委員会を組織、ゲンジボタルの幼虫飼育に取り組んできた。
ふ化直後の幼虫は、よく体をまるめて水面に浮いてくる。水温が高すぎるのである。幼虫の成育適温は二十三度、ゲンジボタルは特に環境に敏感で、八月の水温管理には目をはなせない。
昨年十一月、村がホタルの里づくりの拠点として造成した「ホタルの森」に、委員十八名がえさのカワニナとりと水とり替えを日課として愛情をもって育てた幼虫を放流した。
今年の六月二十六日から、乱舞するホタルの姿を見ることができた。
村でも「ホタル観賞会」の名のもとにホタルの里づくリフオーラムを