教育福島0170号(1993年(H05)04月)-025page
私のパソコン考
黒田修一
私とパソコンとの出会いは、今から十年ぐらい前になる。パーソナルコンピュータの出始めのころ、今では博物館に収められてもおかしくない代物を買った。それで何ができるのかもよく分からなかったが、非常に興味があった。そのうち、成績処理をしてみたい、ワードプロセッサーとして使いたいなどと考えるようになった。そのころ、新しいパソコンが出るたびに、処理が速くグラフィックが奇麗などとの理由で欲しくなり、現在では六台のパソコンを所有するまでになった。
この六台のパソコンには、それぞれの思い出がある。それは、使い方がそれぞれに違うということである。はじめの二台は校務処理のために使っていた。しかし、次第に授業で活用できるプログラムを作ってみたいと考えるようになり、プログラムの自作に夢中になった。
今、コンピュータを授業に取り入れて学習効果を上げようと研究を進めている学校が多い。CAIということであるが、これは大学時代の講義の中に初めて出てきた用語である。CAIのことを聞いたとき、そんなに便利なものなら先生なんかいらなくなってしまうのではと思ったものである。しかし、そのときの教授の話では、「まだ機械の価格が高くて一般化はできないだろう。」と言うことであったが、十五年を経た現在、それが現実となっている。
私はあまり上手ではないが、ベーシックでプログラムを作り、授業で使っている。生徒の反応は、「おおっ!」とか「何これ?」とか様々であるが、生き生きと輝いた目を見ることができる。また、私がコツコツとプログラムを作るところも見ていて、生徒は「先生、これ、こっちにも動くと分かりやすいね。」などと言ってくれることもあり、その都度、改善に努める。生徒が私のよきアドバイザーになっているのである。
十五年前、コンピュータが万能であると聞き、愕然としたときとは違い、私も教育実践を重ねる中で、教育とは心が通い合わないといけないものだということが分かってきた。
コンピュータを活用するに当たり、私たちがこれから心掛けなくてはならないことは、機械を媒体として、教師と生徒及び生徒同士の人間的なふれあいを大切にしていくことであると考える。
今日もまた飽きもせずパソコンと向かい合い、授業で活用したときの生徒の表情を想像しながらプログラム作りに取り組んでいる。
(相馬市立玉野中学校教諭)
忘れかけていたもの
二谷京子
昨年の冬に、ふいに教え子であるT男から電話がかかってきた。年賀状などのやりとりをしていたわけでもなかったので、あまりにも突然の電話に私も少し戸惑ってしまった。
「先生。ぼくを覚えていますか。先生には特にお世話をかけたT男です。おかげ様で、ぼくも今年大学を卒業して銀行に就職も決まりました。忙しくなる前に一日お会いしたくて。」と私は、すぐにその子のことを思い出すことができた。当時五年生だった彼は、とてもいたずらっ子で、私はいつも手こずっていたのだった。と同時に、その時一緒に過ごしたたくさんの子どもたちの顔が次々とよみがえってきた。
新卒で教師一年目の私にとって、彼らとの出会いはあまりにも鮮烈だった。毎日毎日が戦争のようだったな、とふと苦笑いさえ出てきた。その彼らも、もう社会人か…。
久しぶりの電話に私も浮き立ち、しばらく話しこんでしまった。しかし、残念ながらお互いの都合がつかず会えずじまいになってしまった。
今年、私の勤務する学校に、新採用教員二名と新卒の補充教員二名の計四名の先生たちが入ってきた。その中の一人が、歓迎会の席で、
「なりたかった先生にやっとなれました。すごくうれしいです。」
と、涙を浮かべながらあいさつをした。その涙を見ているうちに、そういえば私自身も教員を志し、熱い思いを持ってこの道に入ったのだった、ということを思い出した。そして、たいへんだったあの頃のことを