教育福島0170号(1993年(H05)04月)-026page
いろいろと思い出した。複雑な家庭環境の子、筋ジストロフィーながらも暴れる子、それにわんぱくで言うことを聞かないT男。なかなかなじんでくれない子どもたちに、「この子たちをなんとかしたい」という純粋な思いだけで、とにかく必死になっていた。どんなことでも一緒になって力いっぱいやった。やり過ぎて自分がけがをしたことも何度かあった。あの頃の気持ちがそのまま心に浮かんできた。
私が受け持った彼らは、新採用の四人の先生たちと、ちょうど同じ年である。もう自分と同じ立場になったのだなあとつくづく感じた。
四人の若い先生には、もちろん先輩として教えてあげることも多い。しかし、まだ二週間足らずではあるが、子どもたちと奮闘している姿は、かつての自分のようでもあり、あの頃から十数年たち、ふと忘れかけていた夢や希望や情熱などをもう一度思い出させてくれた。
T男の電話と若い先生の姿が大いに私を奮い立たせてくれたのである。
(福島市立鳥川小学校教諭)
研修の大切さ
吉武稔
現在、世界史の授業を担当している。生徒に対して、より分かり易く且つ効果的な授業を行うためにはどうすべきか。まずは様々な文献を調査し、読書量を増やして教材を豊かにしていく事は当然である。しかしその上で更に実物を実地に見学することは、認識を深めるとともに、教授に際して大いなる自信をかち得るのではなかろうか。
十年前から、「古代史研究会」と称して、社会科の先生方六名で年一回の研修旅行を行ってきた。研修先はメンバーが各々の見学希望地を出し合って決定される。観光コースもあればそうでないところもあり、業者に不思議がられるような場所もある。教科書に出てくるところや教材として利用できそうなところを選定するわけである。
古代文化のルーツを辿るテーマで奈良・京都・韓国等の史跡を訪ねた。どこでも案内者の説明は耳目を引く話題が多く感銘を受けた。
さらに、日本の古代文化のルーツである中国史を教えるために、以前から是非、中国の名勝、旧跡の見学をしたいと思っていたところ、幸いその機会に恵まれて大変見聞が深まった。その時の敦煌砂漠について述べてみよう。
敦煌。午後の八時といってもまださ明るく、莫高窟の西裏側にあたる「鳴沙出(めいさざん)」と「月牙泉(げつがせん)」に行く。
砂漠と駱駝、月牙泉の組み合わせでロマンにひたり、頭上にきれいな星が二つ我々を照らしているかのようにきらきらと輝いていてまさに忘我の世界。
ところで、砂地には駱駝が何頭もいて、鳴沙山の麓にある月牙泉まで(千米位)観光客用の隊商をつくるために客引きの業者がいた。私も生まれて初めて駱駝に往復八元(約九百円)を払って乗った。ところが想像もしなかったハプニングがおこってしまった。しゃがんでいる駱駝の背に乗るのだが、御者が掛け声をかけたとたん駱駝が突然立ち上がり、一行の何人かが駱駝の背中から一回転して砂地へ転落。幸い砂地なのでケガはなかったが、録音機に砂が入って使いものにならなくなった人も出た。駱駝の乗り心地は決してよくない。けれども、三米の高さから見た眺めはすばらしく、駱駝に揺られながら「月の砂漠をはるばると…」と口ずさみながら古のシルクロード隊商の幻想にしばし陶酔した。
そうして、砂山の麓にある三日月型のオアシス月牙泉についた。そこから砂山である鳴沙山に登ろうとしたが、頂上近くになって勾配が急になり、しかもぬかるので途中であきらめて降りる人もいた。私は悪戦苦闘してやっとのこと頂上に着いた。
ちょうど日没の頃で、太陽が地平線のかなたに沈む様子と、眼下に見える月牙泉の風光明媚は今も眼に焼きついて忘れることができない。
このような実地見学は、授業を進める上で何ほど役に立つかしれない。研修は教特法十九条で法的に義務づけられている。日々の研修は、将来を担う人間を育てる仕事に携わる我々教員にとって至極当然の自己修養の機会ではなかろうか。
(県立若松商業高等学校教諭)