教育福島0170号(1993年(H05)04月)-049page

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博物館ノート

雪村筆「破墨山水図」

雪村筆「破墨山水図」

破墨とは墨の濃淡で対象を描く水墨画の技法。雪村は中国の宋代末期(一三世紀後半)の画家玉澗の作品からこの技法を学び、生涯玉澗風の破墨山水を追及した。本図もその一作例である。

雪村は室町時代の後期永正元年(一五〇四)頃、常陸(茨城県)の戦国大名佐竹氏の一族に生まれ、後に出家し禅宗の画僧となった。出家の理由は家督相続をめぐる問題と言われる。最初は常陸を中心に活動し、後に会津の戦国大名盧名盛氏の知遇を得、鎌倉・小田原で修行を積み、再び会津を訪れ藍名盛氏の庇護を受け、晩年は三春に隠棲し八十数歳で亡くなった。その画風は東国の風土を反映した極めて個性的なもので、骨太な厳しさの中にも鋭いユーモアが秘められている。他の追随を許さない独自の画風は日本美術史上重要な位置を占め世界的にも高い評価を得ている。

雪村作品のうち名作と呼ばれるものの多くは晩年の二〇数年を過ごした会津・三春滞在時代に描かれている。雪村芸術の大輪の花が開いた地はまさに会津であり、落花の美を見せた地が三春であった。雪村芸術の根底にあるもの、それは福島のそして東国の文化であり風土である。しかし会津や一、一春で多く描かれたはずの名作の数々は現在わずかな例外を除いて県下にはまったく残されていない。今後一点でも多くの雪村作品が発見され雪村芸術の花が開いた福島に戻ってくることを願わずにはいられない。

▲雪村筆「破墨山水図」

▲雪村筆「破墨山水図」

▲『雲村」『周継』(白文方印)「破墨山水図」落款・印章

▲『雲村」『周継』(白文方印)「破墨山水図」落款・印章


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