教育福島0171号(1993年(H05)06月)-023page
随想
日々の想い
皐月雑感
石田洵
木々は芽吹き新緑の眩しい子供の日、大型連体とはいえたった一日の休日を「あづま総合運動公園」に足を運んだ。思えば「五三総体」の開会式会場に予定されたこの地が、「ふくしま国体」へと受け継がれ、永い歳月を経てその規模も大きく完成しようとしている。スポーツ関係者として感無量であった。
残雪輝く吾妻・安達太良の秀麗を間近に仰いで、目指すは大鼓と歓声が木霊する野球場。前任校で応援団を引率して以来三年振りの入場であった。対戦相手は県下高校野球界の強豪S高校。スタンドに足を踏みいれた途端目に飛び込んだ2-0。「勝ってる!」思わず心が弾んだ。三塁側から経験豊富な応援団のリードする大きな声が我が軍を威圧していた。遠慮がちで恥ずかしそうに応援していた一塁側も7-2とリードするにつれ見事に統制の取れた自信あふれた応援に変わっていた。選手達の目も生きている。これが授業中寝ている生徒と同じ人間かと思うほど輝いていた。5回一挙5点を取られ同点。するとまた生徒の目が不安で自信のないいつもの目に戻ってしまった。しかし応援側は益々両サイド盛り上がっていった。結果は8-7で逃げ切り、歓喜する選手や関係者で沸き返った。スポーツで勝つことは選手に夢・希望・感動・活力を与えてくれる。そして同一化した応援者にも同様にそれらを感じさせてくれる。その日を経験した人々の心の内に熱い思いを持たらしたことと信じたい。だが、時としてスポーツは残酷でもある。体や心を蝕み、挫折や絶望さえも感じさせる。スポーツは「諸刃の剣」である。
「ふくしま国体」が間近に迫り関係者として種々不安な日々を送っている。「国民へのスポーツの普及」を目指して開催された国体も半世紀を経る過程で我が国最大のスポーツイベントに変化し、県の力を問われるほど世論の関心事となってきた。「優勝すること」が開催県に課せられた義務になり、それぞれの種目でチームづくりや選手育成に努力している。選ばれた者、選ばれなかった者、勝った者、負けた者それぞれの体験には一般の人々が想像できないドラマがあろう。特に高校生においてはなおさらである。選ばれなかった者、負けた者に更に夢と希望が持たせられるような大人の配慮が必ず必要になる。四〇数年振りに福島県で開催される国体を通して子供達に何を感じさせ、何を残せるのか我々関係者の責務と考える。
すばらしい「あづま総合運動公園」の体育施設を見ながら、一〇歳の時信夫ヶ丘陸上競技場で見た国体開会式を朧げに思い出し、そして8-7の接戦をものにした我校の健児に新たな発見をし、二年後の国体に思いを馳せ五月晴れの公園をあとにした。
ここが、全国の国体関係者の感動の場になり、そして終了後は沢山のスポーツ愛好者が利用しやすい施設として愛されることを念じつつ。
(福島県バスケットボール協会事務局長・県立二本松工業高等学校教諭)
小さな変化
岡村聡子
空は快晴。Tシャツで外に飛び出したくなるような、さわやかな五月のある日曜日のこと。「今日は何か変わったことをしてみよう!」と思い立ち、最近乗ることのなかった自転車でサイクリングに出掛けた。
久し振りの自転車からの風景は、いつもと違っていて、目に飛び込ん