教育福島0171号(1993年(H05)06月)-024page

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でくるものは全て、初めてみるもののように新鮮に感じられた。

あちこちまわり道をしながらたどり着いたのは、通い始めて二年目になる県庁である。私の勤務する福利課がある西庁舎は、十二階建てとあって、見上げるとかなりの威圧感がある。福利課にいらっしゃる方が、「お役所に来るのはどうも抵抗があって。」とおっしゃるのがよく分かる。私自身もつい最近までそうであった。しかし、今は少し違う。通い慣れたせいもあるが、実はこんな建物の裏にもちょっと素敵な場所があることを発見したからである。

釣りをする人、子どもと散歩する人、ベンチで休む人、水鳥、新緑の並木、菜の花……。県庁の南側を流れる阿武隈川に沿った遊歩道の風景である。桜の木は今でこそ緑の葉に衣替えしているが、つい数週間前までは見事な花を咲かせ、通る人の目を楽しませていた。この場所を発見した私と友人は、満開の桜を見ながら昼食をとったのだが、私達の他にも桜の下で弁当を広げるグループが沢山あった。毎日県庁に通っていながら、今までこういう場所があることを知らずに過ごしていたことを思うと、他にも見過ごしてきたことが沢山あるように思われた。

何もかもが初めての経験で緊張の連続。日の前のことだけで精一杯。見通しなど何もない。周囲の人の暖かい心遣いに支えられてばかりの一年間であった。心にもう少し余裕があればもっと多くのことを心に留めることができただろう。

しかし今、二年目に入ったからといって急に余裕が持てるわけがない。どうしていったらよいか。ふと思い出したのは、学生の時受けた「短期療法」の講義である。登校拒否等の問題解決の事例中心であったのだが、その解決法の基本に「小さな変化を与えよ」というのがある。「大きな変化は長続きしないが、小さな変化は水に小さな石を投げてできる波紋のように大きく広がっていく」という考えなのだが、これを使っての第一段が今回のサイクリングであった。

直接は仕事の余裕と関係ないかもしれないが、ペダルをこぐことで直接風を肌で感じたり、無理のない汗をかいたり、さわやかな気分になれた。きっと明日、どんなに忙しい一日になっても、職場で笑顔でいられるような気がする。ちょっとした変化をおこして、毎日の生活も変化させていけたら。心にゆとりのある毎日になったらいい。そんなことを思いつつ、変化をおこすきっかけになった遊歩道を後にした。

(県教育庁福利課主事)

 

涼やかな風に

吉田信也

 

位置している。緑深い山々と清き流れの那倉川、そして吹きぬける涼やかな風。

 

那倉小学校は阿武隈高地の南端、標高約六○○Mの山間部に位置している。緑深い山々と清き流れの那倉川、そして吹きぬける涼やかな風。

塙町内から約四〇〇M上ることで、春の野の花や木々の若芽のやさしい色あい、秋の燃えるような紅葉の鮮やかさ、清流に躍動するヤマメの姿など、どれをとってみても一級品の自然にあふれた土地と言える。

このようなすばらしい自然の中で、全校生四十一名と職員八名との生活は、それまで目の前の細かなことにばかりあくせくしていた自分、あるいは教員になって十三年、少々中だるみがあったのかもしれない、そんな自分にとって、何か目を覚まさせてくれるものがあった。穏やかでゆったりとした時の流れは、私に周囲のことに目を向ける余裕を与えてくれたのである。

全てが理想的な子どもたちというわけではない。生活経験の狭さや自分を表現することの未熟さは、その代表であろうと思われる。でも、両親や地域の人たちによって育まれた純真さや素直さは、それらを消して余りあるほどのすばらしさである。

子どもたちの透き通った目の輝きは、三十五年の間に私の心の中に積もった塵や埃を吹き飛ばしてくれるかのように思われた。那倉の子どもたちが、この地特有の涼やかな風を吹かせているのかもしれない。

学校行事の中に、奉仕活動がある。これは、学校周辺のゴミを全校生で拾うものであるが、毎回予想以上のゴミや空き缶が集められる。

子どもたちの自慢は、やはり那倉の自然の美しさである。奉仕活動では、「先生、どうしてこんなにゴミがあるの。」「いったい誰がゴミを捨てるの。」と、不平を言いながらも、熱心にゴミ拾いをするのである。

自分たちの土地に対する愛着が、いつしか登校する際にもゴミ拾いをすることに発展していったのである。

この地に赴任してきた頃、何度か耳にした言葉である。

「学校に僻地はあっても、教育に僻

 

 

 


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