教育福島0171号(1993年(H05)06月)-025page
地があってはならない。」
言い旧された言葉かもしれないが、そのときの私にはとても新鮮に響いたことを今でも覚えている。今思えば、「こんな小さな学校なんだから、適当にやれば…。」という気持ちが、心のどこかにあったのだろう。だからこそ、そんないい加減な私に喝を入れるかのように、その言葉が強く響いたのかもしれない。
ゆったりとした時の流れの中で、心洗われる涼やかな風に吹かれながら、今日も子どもたちとともに、校庭をかけ巡っている。
(塙町立那倉小学校教諭)
二人だけの宝物
堀金洋子
今から二十年も前になろうか。捨てられていた古電話機を拾ったことから骨董品に魅せられ、それ以来、今日まで似た者夫婦の古物集めが続いている。土蔵を真ん中に、母屋を静心荘、隠居を寿翁庵と名付けた。これらの建物も二百年以上経た古い民家で、似た者夫婦は古狸となった。
今まで集めた品は三百点以上になる。家宝になるような物は何ひとつなく、よくいわれるような高価な掛け軸など夢の又夢であるが、似た者夫婦にとっては宝石以上の宝物である。そして、何よりも嬉しい事は、これら全ての物が人々の善意で頂いたものばかりであり、心を持って接すれば心で返ってくることを教えられた年月でもあった。最初は小物を中心として探していたが、農山村の農業離れの中で、毎日のように捨てられていく農耕機具等を見て、先人の遺産が消えてしまうと同時に、子供達に先人の文化を伝えていくことが、教える者の道であると判断し、捨てられていく古い民具等を集めてきた。
民家が壊される話を聞くとすぐ飛んで行き、時には、ごみ捨て場まで足を運んだこともあった。今では、茅屋根も少なくなり、茅も貴重品である。静心荘も寿翁庵もこの貴重な茅屋根である。茅というのは天丼裏で煙にまかれたものが長持ちするという。そのためか屋根葺く作業は全身真っ黒で煤だらけとなる。職人さん達と真っ黒になって働いてくれた二人の息子達に感謝している。さらに、家族全員で復元したこの施設には特別の想いがあり、草木、石ころひとつにも愛情が湧いてくる。
昔、南会津地方は天領御蔵入と呼ばれ陣屋跡もある。二岐温泉を経て白河方面まで荷物を運んだとか。その重要な足となった馬。これらの馬に装備した数々の品と、人馬一体となって生活した先人達の様子を囲炉裏端で地域の子供達に語る。ランプを灯し、炎を囲んで語り合う。石うすをまわして作った団子。杵と臼での餅搗き。さらには、厳寒の二月、星空を仰ぎながら拍子木を持っての「火の用心」と。子供達はこんな体験に心おどらせる。飽食の時代といわれる今の世に、囲炉裏で焼いたじゃがいもをみて感動する子供達を、心から愛しく思う。
ふれあいと生きがいに満ちた生涯学習の振興をと叫ばれている今、子供達が主体的に活動したり豊かな体験を深めることができる機会、場の確保が増々必要になってくる。知識は忘れるが体験は無意識の中に残るといわれる。そんな時、似た者夫婦のささやかな施設が少しでも子供達の生き方に役立てたらと思う。自分の生れ育った故郷を誇りに思い、先人の遺産を胸を張って伝承していけるような子供の育成をと。
いつの日か、静心荘、寿翁庵で、おじさんは郷土に伝わる民芸のわら細工、何の特技もなく口達者なおばさんは、奥会津地方に伝わる「ざっと昔話」でも聞かせたいと思っている。こんな夢を心に秘めながら、時間ができると、あっちの軒下こっちの隅っこと、人様から見ると全然価値のない二人だけの宝物を探して、走りまわっている昨今である。
(田島町立針生小学校教頭)
若芽のごとく
生江由美
春休みに入ったある日の職員室に懐しい顔ぶれが私を訪ねて来てくれた。三年前の卒業生である。彼女たち三人は部活動の教え子であり、新体操というスポーツを通して、とことんつき合ってきた生徒たちだった。中学校卒業後もそれぞれの高校で新体操を続けていた彼女たちと