教育福島0171号(1993年(H05)06月)-026page

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は、各種大会や講習会等で、時折顔を会わせる機会はあったが、四月より大学生となり故郷を巣立っていくのかと思うと、改めて時の過ぎゆく速さに驚かされる。彼女たちはそれぞれ地元を離れる前に、中学時代の部活動仲間と「思い出会」なるものを開きたいので、私にもぜひ参加してほしいということを言いに来たのであった。

思えば彼女たちとの出会いは、私が大学を卒業した年の春に始まる。休職中の先生の補充として、多くの不安を抱きながら母校である中学校に着任したのである。彼女たちはその年の新入生、私は社会人一年生。一年生同志の出会いであった。保健体育の教科指導はもとより、生徒指導の難しさ、慣れない校務分掌の仕事、学校組織の複雑さなど、プレッシャーに押しつぶされそうな日々が続く中、唯一自分らしさを取り戻すことができるのが部活動の時間であった。

中・高・大学と新体操を専門に学んできた私にとって新体操部の顧問は自分の力を出しきれる願ってもないチャンスだった。現役引退からまだ日の浅かった私は、中学生である彼女たちにかなり高度な技術を要求した。自分が今までやってきたことを、なんのためらいもなく必死になって教え込んだ。今思えば中学生の身体的特質や精神面などほとんど考慮しない、自分勝手なひどい指導であったと反省している。それでも生徒たちは一人たりとも弱音を吐かず、黙々と私の指導についてきた。特に新入生の目は純粋そのもので、あの輝いた瞳の美しさを忘れることができない。そんな素直であどけなかった彼女たちが立派に成長した姿を私に見せてくれた。S子はもっと専門的に新体操を勉強するため体育大へ、J子は体育の教師を目指し地元の大学へ、C子は東京の女子大へとそれぞれの道に進んでいくことになった。

私は彼女たちとの体当たりのつき合いを通して、よい思い出をつくることができたし、自らもまたわずかであるが共に成長することができたような気がする。日々の忙しさにまぎれ忘れがちな温かい思いが私を満たしていた。彼女たちに負けぬよういつまでも若芽のごとく新鮮さを失わずにがんばりたい、そう思った。

(会津坂下町立第一中学校教諭)

 

良き先輩教師をめざして

猪狩みか子

 

見えるのであろう。時折、「先生はベテランだから。」と言われることがある。

 

教員生活二十五年目、自分では気持ちも体力も若いころとあまり変わってはいないと思っていても、他から見ればやはりそれなりに見えるのであろう。時折、「先生はベテランだから。」と言われることがある。

しかし、自分自身の毎日の教育活動を振り返る時、長年の経験が生かされているか、はなはだ疑問である。目先の仕事に追われることが多く、学級、学年経営についても同じようなことの繰り返しをやってきた気がする。教科指導、生徒指導、事務処理等、はたして若い先生方の手本となっているだろうか。

幸い今まで、私はすばらしい先輩の先生方に恵まれ、いろいろとご指導を受けることができ、いつも安心して充実した教員生活を送ってきた。かつて生徒指導で悩まされていた時、「問題行動を起こした生徒に誠意を持って一生懸命指導することも大切だが、他の生徒達を忘れないようにしなさい。特に、静かで目立たない生徒達は先生に話しかけられるのを待っていますよ。」と言って、いっしょに生徒指導をしてくださった先輩の先生がいらっしゃったが、あの時の言葉は今でも強く心に残っている。また、子育てのころ「退勤時間だよ。子供さんが待っているから早く帰りなさい。」とやさしく声をかけてくださった先生方からどんなに励まされたことか、忘れられない。

それにひきかえ、自分は今、後輩の先生方に何を教え、何をお世話しているだろうかと反省させられる。活動的で熱血漢の先生、物静かであるが熱心でまじめな先生、そうした先生方に適切なアドバイスを与えることのできる先輩教師になりたいものである。

そのためには、自分の範囲だけでなく余裕を持って広く全体が見えるようにならなくてはいけない。心にゆとりを持って生徒達にも同僚の先生方にも接するよう心がけていきたい。常に相手を尊重する気持ちを忘れずに。

教育が大きな改革に進みだした今、私達も日々の教育活動を振り返り、反省を加えながら次の活動のステップになる努力をしていかなければならない。そして自ら自己教育力を高め、新しい学力観に立って指導技術を積極的に向上させる必要がある。

 

 

 


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