教育福島0171号(1993年(H05)06月)-027page
これからの教員生活を、良き先輩教師になれるよう精一杯努力をしていきたい。自分が一生懸命生徒を教えている姿、一生懸命教育に携わる姿、そんな後姿を後輩教師に自信を持って見せていけたらと思う。今までお世話になった先輩の先生方への恩返しの意も込めて。
(広野町立広野中学校教諭)
春の野原で思う
佐久間 葉 子
春、四月。入学式に子供の手をひいて学校に来る父母の胸に去来するものはいったいなんでしょうか。成長の喜びでしょうか。子供たちの未来に対しての期待でしょうか。それとも、現在の子供の状況への不安でしょうか。
一年生を受け持つことが決まった二月の終わりから、私自身も子供たちをどのように育てていくか不安と期待の日々を過ごしています。教師となって十年目。一年間、本当に充実した学級づくりができたことなど一度もありません。今度こそ、今年こそはと思いながら、年度末になると、ああしてみたかった、こうやれば子供たちがもっと伸び伸びと成長できたのではと、悔恨の思いでいっぱいになります。
なかでも、子供の本当の姿を見逃していた、子供の思いを受け止めてやれなかった、一年間で育てるべき大切なものを見逃してしまったという思いほど残念なものはありません。
今年こそは、子供の心に迫れる教師でありたいと、機会を見つけては、子供たちを自然の中に誘うことにしています。遊びたい、動きたい、見たい、知りたい、そんな子供たちの欲求を自然は満たしてくれるからです。
教室では、緊張して「ハイ」と返事ができないMちゃんも、「先生、あっちに行こう。」「私の家にもスイセンの花が咲いたよ。」と、にこにこと笑顔で話をしてくれます。生まれたばかりの妹のこと、学校の帰り道にへんな虫の卵を見つけたこと、内容をまだきちんと伝えることのできない子も、先生に自分のことを分かってもらいたい、知ってもらいたいといろんなことを話してくれます。こんな子供たちの願いを丁寧に受け止めてやりたいと思います。
子供たちと手をつなぎ合い、土手登りをしたり、かけっこをしたりしながら歩きまわります。今日は、Y君がもぐらの穴を見つけました。よもぎやなずなが芽ばえた野原のあちこちに、小さな山がぽこぽこと盛り上がっています。みんなで山をくずすとほんとうに穴があいています。着替えが遅く注意されていたY君が今日は先生です。むこうでは、梅の小枝をとろうと、二、二人集まっておんぶしたり、ジャンプをしたりしています。休み時間に取っ組み合いのけんかをしていても、今は仲よし仲間に変身です。こんな自然とのふれあいやかかわりの中で、人間関係のやさしさや細やかさを感じ取る心が育っていくのではないかと考えています。そして、「私がする。」「ぼくもやってみたい。」と自分から行動する意欲を持ち、ものごとにチャレンジし、失敗しながらも友だちに助けられて頑張る自分を発見していってほしいと願っています。
四月のさわやかな空気を胸いっぱい吸い込み、新芽のような子供たちと笑顔で教室に戻ります。
(大玉村立玉井小学校教諭)
「松虫草の思い出」から
矢吹富美
空が青く、とても高く感じられる季節が来ると、私は、初めて教鞭を執った頃に出会った、一人の女子生徒のことを思い出す。
ある朝、一人の生徒が職員室に駆け込んできた。
「先生、この花--。」
手にしていたのは、私が初めて見る花で、淡い藤色の薄い花びらをつけて、朝露に光っていた。『松虫草』という花だと教えられた。
この生徒は、慣れない土地で生活する私を励ますかのように、折にふれ、野の花を摘んできて、私の机を飾ってくれた。「みずひき、ほたるぶくろ、ははこぐさ、おかとらのお、われもこう、まんさく…。」それは、彼女が卒業するまでの二年間続けられた。四季の草花のプレゼントに私