教育福島0172号(1993年(H05)07月)-008page

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提言

似て非なり

 

福島県小学校長会長

大河内宏通

 

ないかと。親が甘やかすことと、子が甘えることとは同質ではないように思う。

 

その一、鴬やおおよしきりの巣に産卵して抱卵・育雛を委ねるという、ほととぎすや、かっこうなどは例外としても、大抵の動物の親子は深い愛情の絆で結ばれているように見える。子は親にまつわりついて甘え、親はそれにさりげなく、あるいはしっかりと応えて保護し、せっせと餌を与えたり哺乳をする。やがて、子は自立し親から離れて行く。このような光景を身近なところで目にする季節になると、よくわが人間界の親子の有様について考えさせられる。子は、独り立ちの心が芽生えると、親から離れて行動したくなるのは自然の姿であろうが、親の利己心によって甘やかしてはいないだろうか。あるいは、子は何歳になっても事情によっては親に甘えたい事もあるが、そんな時冷たくあしらってはいないかと。親が甘やかすことと、子が甘えることとは同質ではないように思う。

その二、電車を待つホームに、ふわり舞おりようとしているたんぽぽの種三つ四つ。こんな所におりるとは気の毒にと思っていたら、向側の上り電車が通過して行った。種は風圧に助けられて、また舞あがって行ったように見えた。同じ草本でも、耕された畑や鉢の中で栽培される野菜や花卉などと、道端や原野に自生する雑草などと呼ばれている野草とでは、その生きるたくましさに大きな違いを見ることができる。人の力で育てられるものと自ら育つものとの違いであろうか。

心豊かにたくましく生きる人間の育成を目指す教育の実践

 

 

 


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