教育福島0172号(1993年(H05)07月)-026page

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ように、子供たち一人一人もさまざまな能力や可能性を秘めています。私たちは、それぞれの特徴や個性を見つけ、それに応じた指導の手を差しのべて、成長を助けていかなければならないと思います。

(三春町立三春小学校教頭)

 

一石二鳥

石幡美和

 

のページが開かれるだけで、ほとんどが書棚に飾られたままという有様である。

 

読書三昧の毎日、趣味と教材研究が同時にできる「一石二鳥」の生活に憧れていた。新採用から四年目になるが、今年でやっとローンの返済が終わる文学全集も、ごくたまに教科書関連のページが開かれるだけで、ほとんどが書棚に飾られたままという有様である。

そんな私が二年前から帰省時の土産にしているのは、週刊のホームルーム通信だ。小学校で学級通信を発行している母の影響で、ホームルーム担任になったのを機に書き始めた。B五版のスペースに、行事予定などの連絡事項、誕生日を迎える生徒の紹介、頑張っている生徒の様子や私自身の感想などを載せている。この拙い文章が帰省した時の団欒に話題を提供し、両親から親として、また教師としての示唆に富んだ興味深い話を引き出してくれることもある。

「書く」ことは「考える」ことだと思う。それゆえ書かれたもの(書物)は思索の所産として大切にされ、それを読むこと(読書)が人間を豊かにするのだ。ホームルーム通信を出すようになり、国語科の教員として今目の前にいる生徒たちとどのように関わっていくべきかという方向性が見えてきたような気がする。

また、私自身も今やっと主体的な生活を始めたように思う。これまでの私は、人が書いたものを読んで自分なりの解釈をし、世の中なんてこんなものだと決めつけていたようである。名作といわれる文学作品を読んで感動しても、私の言動にほとんど変化はなかった。

今、生徒にはこうあってほしいという願いをこめながら自分の高校生活をふり返って感想を書いたり、生徒の良い面を記事にするべく話しかけたりはたらきかけたりしていると、いろいろなことを考えさせられる。雑然とし、殺伐とした環境の下で、心を落ち着かせる場もなく、愛情に飢えて育ってきた生徒たちにはどう接するべきか悩むことがある。また、ボランティア活動が生活の中に定着し、自然と思いやりに満ちた言動をする生徒たちを見ていると、将来への不安におびえ、テストの成績に一喜一憂して自分のことしか眼中になかった高校生の頃を思い出し、恥ずかしくなる。

今年はいよいよ三学年担任となった。これまでも周囲の方々の導きでやってこられた私にとって、更に余裕のない日々が続きそうであるが、ホームルーム通信は書いていきたい。何を書こうかと考えることで、プロ意識の希薄な私も何とか教員としての自覚が保てるからだ。ホームルーム通信を交換し合っている先生方や、折にふれて「『実り』楽しみにしています」と言ってくださる保護者の方に、励まされ支えられている毎日である。私にとって教師の仕事は「一石二鳥」どころではない。

(県立浪江高等学校教諭)

 

二度目の青春

藤田修一

 

わりも、長男、長女、二男と途切れることなく、八年目になってしまいました。

 

平成五年五月のある日曜日、二男の加入するスポーツ少年団(ソフトボール)の試合の応援。早いもので、スポ少とのかかわりも、長男、長女、二男と途切れることなく、八年目になってしまいました。

私たちのスポ少は、地域の指導者による地域スポ少です。このため学校スポ少とは違った(学校行事や、学校施設利用の調整等の)悩みを抱えています。学校の理解が少ないとトラブルを生じます。振り返ると様々なことがありました。現在は、校長先生を筆頭に各先生方も応援に来てくださり、子供たちの励みになるとともに私たちも心強く感じています。

話は変わりますが、私は十年程前に公民館に勤務したことがあります。

公民館職員としての研修もないままに、家庭教育学級、婦人学級、寿大学を担当しました。婦人学級や寿大学は、受講生が固定していたため気が楽でしたが、家庭教育学級の開

 

 

 


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