教育福島0172号(1993年(H05)07月)-027page

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講には困ってしまいました。子育ての経験は少しありましたが、テーマを絞れません。以前のチラシなどを真似ながら募集チラシを作りましたが、申し込みはわずか六名。申込み者に謝りながら開講日を一カ月延期し、講師に相談し内容を再検討し、直接地区内を家庭訪問しながら参加を呼び掛けてやっと開講にこぎつけました。

地域の実情を理解し、地域の方々の意見を聴き、講師や受講生と内容を組み立てていくことの大切さを感じました。

公民館の学習は、出席を強制されません。つまらなければ欠席してしまいます。テレビのプロデューサーが視聴率を気にするように、出席者の反応に毎回ヒヤヒヤドキドキ。

こんな新米の私を、地域の方々は温かく、気長に見守り育ててくださいました。今でも感謝しています。

職員間で時々「父親の社会参加の低さ」が話題になることがありますが、公民館職員も自らの社会参加となると、高くはなかったようです。

公民館の仕事を離れた今、少年会育成会、スポ少、PTA等に参加してみると、よその子供も含めて子供たちの成長が理解でき、さらに我が子と共に泣き、共に笑い、二度目の『青春』を楽しんでいます。

しかし、二男がスポ少にいるのもあとわずか。残り少なくなった現在の時を子供と一緒に精一杯楽しみ、思い出を共有したいと思っています。

先生方も、時には仕事を忘れ、地域活動に積極的に参加し、自分の家族と一緒に『青春』してみませんか。

(福島市立福島第二小学校父母と教師の会会長)

 

出会い

高木洋子

 

二年がたちました。当初に比べて不安は少しずつ減ってきたような気がします。

 

新採用として安積第二高等学校単位制課程に赴任しまして、日々の生活に追われながら学校の特色にも慣れ、二年がたちました。当初に比べて不安は少しずつ減ってきたような気がします。

今の私があるのも二つの出会いによってささえられてきたからです。ここで、教育現場に携わってみたいと思った理由を述べてみます。

一つは、三年間高校のPTA職員として勤務していた時の生徒達と諸先生方との出会いが、きっかけとなりました。私が生徒達とあまり年齢差がなかったせいか、「高木さん元気」といった感じで、気軽に声をかけてくることが多かったです。何も気がねせず、純粋な気持ちで、善いも悪いもなしに学校生活全般に渡り、いろんなことについて相談されることもありました。三年も勤務していますと学校の様子もわかり、生徒と接していくうちに、先生方の教育観や指導している姿に刺激され、私も現場に立ちたいと思いました。初めは、不安もありました。しかし、楽しみもありました。失敗を恐れていては何も始まらない。と自分の気持ちを信じて、教育の道へ進むことを決意しました。

もう一つは、一年間養護学校での実習助手としての生徒との出会いでした。初めての体験が多く、緊張の連続で失敗の毎日でした。生徒の目の高さで物ごとを考えることによって、「共に学び、共に遊ぶ」ことができ、一人ひとりに応じた教材研究の大切さを生徒から学ぶことが多かった気がします。養護教育に熱心な先生方の姿勢や意見などを見聞きしますと、教育の原点というものを考えさせられました。経験を積み重ねているうちに、奥深い教育に魅力を感じ、やりがいのある職業であることを知りました。

趣味としてお花のお稽古事をしてますが、これも花材の個性を生かすという点で、教育と相通ずるものを感じてます。花材には、花もの、葉もの、枝ものがあり、自然と出生を生かし、特徴をとらえて生けます。生花でしたら、決められた花器に季節によって約束があり、それに従って生けます。自由花でしたら、型や寸法にこだわらず、独自のテーマを決め、自由に生けることができます。教育と同じく、花材と出会うことによって、独特の個性を引き出すことは難しいことですが、奥深く、やりがいがあります。

多くの人と出会うことが、私を教職へ導いてくれました。そして、新しい自分を発見することもできました。今後も前向きな姿勢で進んでいきたいからこそ、出会いに欲張りな私でいたいと思います。

(県立安積第二高等学校実習助手)

 

 

 


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