教育福島0174号(1993年(H05)10月)-023page
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随想
日々の想い
プロ意識
渋佐常範
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Jリーグの誕生で、今や空前のブ−ムとなっているサッカー。確かにアマチュア時代の試合とはスピードと言い、選手個々の動きと言い、観衆を魅了するほどに変わっている。プロという意識がこれほどまでに選手を変えたのだろうか。 .
確かにプロとなれば、その道を職業とするわけだから、練習の量も質もアマチュア時代とは違うのだろう。
だが、決定的に変わったのは、観衆に満足してもらうプレーをしなければならないという自覚を選手が持ったことではないだろうか。
しかし、サッカーブームに水を差すような話で申し訳ないが、今のJリーグのサッカーは、外国人選手の活躍で盛り上がっているような気がしてならない。目の覚めるようなシュート場面を見せてくれるのも外国人選手が多い。その外国人選手の中の超一流選手が「日本の選手はプロになりきっていない。試合がないからと夜遅くまで遊ぶようではプロ意識に欠ける。外国のプロ選手では考えられない。」と言った記事を雑誌で読んだ時、プロ意識について考えさせられてしまったのである。
日本の選手も外国の選手も、「観衆に喜んでもらうプレーをしたい。」という思いは同じはずである。だが、そのための普段の心掛けの違いが、プロ意識の差なのだろうか。
こんなことを考えていると、ふと、三年前、海外教育事情視察でヨーロッパヘ行った時のJALのスチュワーデスを思い出したのである。
お客を機内に迎えることから始まって、座席への案内、機内の設備の説明、おしぼり、飲み物、食事、雑誌等のサービスと休む間もなく動いている。しかも、絶えず笑顔を忘れず、接客動作の一つ一つに真心がこもっている。
スチュワーデスと言えば、華やかなカッコいい職業という認識を持っていたが、実際は、お客の安全と快適な旅を演出する大変なプロであった。「私も専門職の教師として、子どもたちにあの笑顔と真心で授業を行ってきただろうか。」そんな自責の念に駆られたのである。
Jリーグからスチュワーデスに話は飛んでしまったが、プロという意識を持つ持たないは別としても、自分の選んだ職業に誇りを持ち、この道一筋に打ち込んで生きる姿は、とても大切であり、美しいと思う。
今、私の胸に去来することは、教え子が社会人になって振り返った時、「あの先生は、教師のプロだった。」そう言ってもらえるような、プ口意識を持ち続ける教師でありたいという思いである。
(県北教育事務所・指導主事)
二十四の瞳
佐藤美恵子
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はるかに仰ぐ 男鹿岳の
峰は希望の 朝ぼらけ
みんなの笑顔 美しく
光る若葉に 呼びかける
去年、着任式で児童の歌うこの校歌で迎えられた。明るくリズム感があり、親しみやすいこの校歌を、以来、気に入ってしまった。
今年、この校歌を歌っているのは全校生十二名の児童である。 一年生と四年生がおらず、二年生は、男子二名、女子一名。三年生は女子一名。五年生は男子一名、女子二名、六年生も男子が一名、女子四名である。
どの子も明るく屈託がない。特に二年生の男の子二人は、去年一年間
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