教育福島0174号(1993年(H05)10月)-024page

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授業参観の度に「栗生沢小始まって以来の一年生だな。」と言われる程の腕白である。何にでも興味を持ち、興味の趣くままに行動し、疑間に対しては、「これ何?どうして?」と、上級生や周りの大人たちに聞く事の出来る素晴らしい子供たちでも,ある。二年生と三年生の女の子二人は、頑張り屋で互いに競い合いながら高め合う事の出来る子供たちである。五年生の児童三名は、去年初めて受け持った子供たちである。赴任して間もない頃、読み書きの力をつけたいと思ったT男に「放課後残って、少し勉強しよう。」という誘いを、「やだ。」と言って逃げ帰った事や、カバンがあれば帰らないだろうという教師の甘い考えをも超越して、二人の同級生がカバンを取り返し、窓からポンと渡してあげるという一幕もあった。仲の良い子供たちである。六年生は、さすがに最上級生らしく、勉強会と称しては友達の家に集まり、給食時のゲームやミニコントなどを考え、準備をし、みんなを楽しませてくれている。

学校の周りにはモリアオガエルが棲み、目の前の男鹿岳は四季折々の表情を見せてくれる。学校の下を流れる水無川では、先輩から受け継いだ割ばしと針で作った道具で、魚を追いかける楽しみや、川の心地よい冷たさを知っている子供たちである。

一学期の終わりに、子供たちに将来の夢を尋ねてみた。銀行員、デザイナー、野球選手になって甲子園に行く事、マラソン選手。まだわからないという子、まだわからないけれどこの栗生沢に残ってみたいという子。どの子もはにかみながら目を輝かせて答えてくれた。

十二名の子供たちは、この恵まれた自然の中で、これからも伸び伸びと過ごしていくであろうし、友達や、教師、周りの人々との関わりの中で、いろいろな事を学び、考え、自分の道を切り拓いて行く事であろう。

校歌を歌う子供たちの、 一人一人の顔を見つめ、今の澄んだ瞳の輝きを失う事なく成長して欲しいと願いながら、 一緒に校歌を歌っている。

 

長い歴史を はぐくんで

遠く伝わる 三匹獅子に

みんなの夢は たくましく

輝く未来に 呼びかける

(田島町立栗生沢小学校教諭)

 

第二の人生について

小野利広

 

「小野君、子供さんいくつ。」

 

「小野君、子供さんいくつ。」

「小生四年生を頭に三人です。」

「じゃあ、勉強なんかさせる必要ないよ。元気に育てなさい。」

「どうしてですか。」

「その世代になると数が少ないから、学校経営などから考えても受験戦争はなくなるからね。」

法政大学の川喜多先生との会話である。私たち団塊の世代の子供たち、第二の団塊の世代を過ぎると、数の上では三分の二になってしまう。出生率の低下はさらに減少に拍車をかけるかも知れない。労働人口も心配だが高齢者となる私たちの生き方も考えておかなければならない。

井上ひさし著の「四千万歩の男」は、余生をどう生きるかとの面でも感銘深い書だった。主人公は十七年間(実測に費した日数は三千六百日余)で地球一周の三万五千キロ、これを二歩で一間、四千万歩歩いた男、伊能忠敬である。忠敬は婿養子として家業の発展に尽力し、またしばしば窮民の救済にも尽力し名字も与えられている。これだけでも大変だが、当時としては遅いくらいの四十九歳で隠居し、それからさらに何か後人のためになる仕事をしたいということで、幼い頃から好きだった暦学の勉強を始める。そして蓄財を費して蝦夷地の測量、子午線一度の距離測定、さらには大日本沿海実測地図の作成となる。「四千万歩の男」には、測量にいたる経緯、実測旅行の苦労がおもしろく書いてあり、福島県内のこともあるので、未読の方には御一読をお薦めしたい。当時としては長命の七十三歳で亡くなるまで、後人のためにとの使命感をもっての生き方は、精一杯生きた人生であり、敬服せざるをえない。高齢化社会を迎えての見本とすべき人生だと思う。

今私は、生涯学習を目的とした(財)立教志塾の一員として活動している。もともと月一回のまちづくりの勉強会として二十名程度で始めたものが、ひとづくり・われづくりと目的をかえ、また深谷健先生はじめ多くの元教育者の参画をえて、人数も増え、また活動内容も家庭教育、子ども教育と広がってきている。先輩の経験と知恵による指導と後輩の活動力が組み合わさっての運営となりつつある。老若男女が共に会して

 

 

 


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