教育福島0174号(1993年(H05)10月)-025page

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の集いには、今までになかった楽しさもある。中田厚仁さんの父親ではないが、老人海外協力隊をつくっては、との話まで"第二の人生の方々"から出ている。読書会・母親講座・論語素読会などと生き生きと指導する姿に、生き甲斐を感じ、伊能忠敬の生き方を思い、将来を考える昨今である。

(白河第二小学校PTA副会長)

 

少年の心

中野茂

 

、少年時代の私は大金持ちになってたなあ。」と、新聞を読みながら苦笑した。

 

「そういうことだったら、少年時代の私は大金持ちになってたなあ。」と、新聞を読みながら苦笑した。

都会では兜虫やクワガタが数千円から数万円で売られているという。種類によっては十万円を越えるらしい。

夏休みには仲間と朝早く近くの山へよく虫捕りにでかけた。自由研究のためでもなく、ただ目的は虫捕り。

(ただし、虫というのは兜虫とクワガタのこと。それ以外は相手にしない。)仲間の一人には鼻の利くのがいて、本当に匂うのかと思う程、彼の指示する所には獲物がいた。籠いっぱいに虫を捕って、山の中の防空壕跡(私達の秘密基地)で山分け。リ−ダー格の上級生が、大きいのや小さいのをとり混ぜて分けた。自分だけいいものをとってしまうようなこともなかった。そのたった一回の虫捕りでの僕の取り分を売ったとしても、五万円ぐらいにはなったろう。

この夏、実家に帰った時ふっと思い立って、小学校への通学路や秘密基地のある山に行って見た。十六年ぶりに歩く通学路は様相が一変。江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」を歩きながら読んでいて落ちた田んぼも、海老煎餅でザリガニを釣った小さな池も、住宅になっていた。「買い食い」は小学校で禁止されていたけれど、必ず立ち寄っては十円のイ力(らしきもの)の串刺しや、どう見ても不自然な水色をした三十円のアイスなどを買った駄菓子屋も跡形もなくなくなっていた。秘密基地のあった山は遠目からも形が変わっていて、半分近く削られ片側二車線の太い道路が横たわっていた。もちろん秘密基地はなかった。

自分の過去が、手の届かないとても遠い闇の中に消えてしまったような、そんな気持ちだった。

二学期も始まったばかりのある日、放課後残って勉強をしていた生徒にこの話をした。「小学校の頃何をして遊んだ」。と私。

日頃、大学受験や就職などの現実的な話しかしない私が、いったい何を言いだすのだというような生徒の顔。しばらくして、「虫捕りなんかあまりしなったなあ。ファミコンとかの方が面白かったもん。ザリガニはドブ臭いし、今時ベーゴマなんかやってる小学生なんていないよ。帰りに公園によってみ、草野球なんか誰もやってないから。」

何と味気のない少年時代を送ったのだ。将来、自分の子供たちにどんな遊びを教えて、どんな体験を語ってやるのだろう。

「なんぼ若ぶっても、やっぱり二十八なんだねぇ、先生。歳が違うんだって。」と、年齢のせいにする始末。

「君達はすばらしい少年時代を過ごしたとは言えない。私のような経験がないと、少年の心を持つ感受性豊かな大人にはなれんなぁ。」と、少々皮肉を込めて言ってやった。

「何言ってんだい、先生、少年の心を持ってたら、兜虫とクワガタを売って五万円なんて考えないよ。」

そ、その通り、絶句…。

(県立安達高等学校教諭)

 

Uターン組教師として

鈴木千絵里

 

これたのは、校長先生始め諸先生方の温かい御指導のお陰と感謝しております。

 

早いもので私がこの学校に着任して六ヶ月が過ぎました。毎日が新鮮で楽しく、その反面めまぐるしく過ぎる日々。各種検診や四計測等初心者の私には(息をつく暇もない毎日でした。こうして無事何とかやってこれたのは、校長先生始め諸先生方の温かい御指導のお陰と感謝しております。

昨年の春、免許状の名儀変更のことで教育事務所に電話をしたとき、「補充教員をやってみませんか。」と お誘いいただいたのが今日(こんにち)の始まりでした。結婚と同時に退職し十五年間事業主婦だった私が決心しかねていたところ、ある先生が「いい時

 

 

 


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