教育福島0174号(1993年(H05)10月)-026page
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期だと思いますよ。」とおっしゃって下さったその一言が、人生の岐路だったように思います。「人生には三回のチャンスが巡ってくるという。今がその一回目かも知れない。私の人生にとって今がいい時期なのかも知れない。」と決心したのです。
私がこの世界にまた戻りたいと思った理由は幾つかあります。 一つには、四人の子供がおりますが、その子育てが一段落したこと。次に自分自身、家庭の中だけでなく社会の一員として何か目標をもってやってみたいと思ったこと。そして最後に何よりも小さいときから憧れていた先生になりたいという夢を捨てきれなかったことです。まだまだ未熟者で自分の仕事も満足にできない私が大きなことを言って…とも思いますが、 一日も早く先輩の先生方の足を引っ張ることなく一人前の教育者になりたいと思います。
年齢的な制限から「もう二度と教職にもどることはできない。」と思っていましたが、昨年の改正でUターン組として受験資格を与えていただき、再びこの職につくことのできた私は何と幸せなのでしょうか。この幸せに甘んじることなく一生懸命がんばりたいと思います。そして生徒と一緒に泣いたり笑ったり、ときには厳しく温かく学校におけるお母さんのような存在になれたら…という大きな希望を抱いています。
朝一番先に家を出て一番最後に帰る私を笑顔で迎えてくれる主人と子供たち。仕事を持ち帰った日、遊んでほしいのにじっと堪えている四才の末娘に感謝しています。そしてこんな母親の生きざまを見て子供たちが何か感じてくれたらと思います。
着任早々「先生」と呼ばれたときの感激と責任の重さを一生忘れることなく、いつも謙虚な気持ちを失わずにいたいと思います。最後になりましたが、この制度がこれからもずっと続き、多くの人たちが活躍できる機会があることを望んでおります。
(白河市立南部中学校養護教諭)
試練に耐える心の指導
矢内賢太郎
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七月二十七日、第三十六回福島県中学校体育大会が開幕した。新地町総合グランドでは、女子ソフトボール競技が行われ、どんよりとした梅雨空が、会場の熱気を包み込んでいた。六年に一度の地元開催でもあり、選手たちも私も意気込んで一回戦に臨んだ。
序盤に四対一とリードを奪い、試合は中盤へ。途中から降り出した雨がだんだん大粒になり、グランドがぬかるみ、大変守りにくい状況の中、選手たちは元気よく五回裏の守備についた。相手は二番からの好打順である。先頭打者に四球を与え、次打者の遊ゴロを野手が暴投して、無死二、三塁のピンチ。
「三点差があるぞ、走者は気にせずアウトカウントを増やせ。」とベンチから指示するものの、ますます激しくなってきた雨の中では、ボールがすべって投手は思うようにストライクをとることができない。ついに一点差までに詰め寄られ、なおも二死二、三塁、一打逆転の大ピンチ、「あと一人だ。頑張れ!」ベンチも保護者も必死に声援を送る。八番打者を迎えて2-2からの第五球、渾身の力を込めて投げた外角高めの球に打者のバットが空を切った。その瞬間、審判からコールドゲームが宣ベられ、大喜びで自軍ベンチに戻ってきたずぶ濡れのナインの中で、エースのK投手が泣き出した。主将を務め、野手に声をかけて、ピンチにも顔色ひとつ変えないで投げ続けた彼女の緊張が切れたのだろう。
「よくやったな、この試合で、また一歩成長することができたぞ。」苦しみを乗り越えた彼女に労いの言葉をかけた。同時に、オフシーズン中、毎日二百〜三百球を黙々と投げ込んで、投球フォーム作りとコントロールの習得に懸命に取り組んでいた彼女の姿が思い出された。チェンジアップやドロップも一応会得はしていたが、この日のような状況下では、単純に「ストライクを取る力」が最後に大きくものをいうのだ。即ち「基礎・基本の定着」がいかに大切かということであろう。
「部活動では、楽しいことよりも苦しいことが多い。苦しいこと、つらいことに挑戦しろ。ソフトボールを通して自分と戦い、自分に勝て〜。」
早実高校野球部の(故)和田監督の言葉をソフトボールに置き換えて言い聞かせてきた。これからも部活動を通して、基礎・基本の大切さと、進んで苦しいことに立ち向かい、それを乗り越えて成長していくことのできる力を、生徒一人一人に培っていきたいと念じながら、日々の教育活動に取り組んでいくつもりである。
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