教育福島0174号(1993年(H05)10月)-028page
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と、テレビや新聞で学校のことが扱われるたびに、こんな会話が聞こえてきていた。概して、当時とは学校の置かれた状況が大きく違うことは理解されており、今の先生は大変だなあ。」という同情論が多かった。また、「ここで稼いで、孫に子遣いをやる。家庭円満には一番だ。」と話した、いかにも好々爺の言葉が印象に残る。とにかく、学校そして教員に対しては強い関心を持っているのである。それは、孫たちへの限りない愛情の表れとも言えるものであろう。一人ひとりの生徒が、皆このような愛情に育まれていることを実感し、強く自戒させられた日々でもあった。
世間の目は厳しい。ましてや世の人は、相手が教員とわかるや否や、良きにつけ悪しきにつけ、態度を変えることが多いように思う。批判や意見が学校に届くのはまだましで、いつでも教員は注目されていることを痛感させられたのが、皮肉にも、教員という立場を離れた時だったとは、何とも複雑な思いである。
発掘調査を通して、単に考古学についての知識を得たのみならず、私自身の生き方に大きな影響を与えられた三年間になったことは間違いない。
(鏡石町立鏡石中学校教諭)
太陽が北の空を通る
佐々木誠一郎
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一九八八年四月から一九九一年三月まで、マレーシア・ペナン日本人学校に勤務させていただいた。
複合民族国家、熱帯雨林気候、言語や生活習慣の全く異なる地での教育活動には、苦労や困難も多かったが、それにも増して新しい発見や驚き、教師として学ぶべきことが数多くあった。
教育課程はほぼ国内並であったが、日本で指導してきた内容がそのまま当てはまらないこともあった。理科で太陽の動きを子供たちと一緒に観察されていた先生のお話である。太陽が北の空を通ることを発見されたのだ。ここに毎年発行の文集に手記を書かれているので紹介したい。「観測を始めてみると、私の信じていた方向からずれつつある。気持ちは南側へ向いているので、透明半球上のシールも、心なしかそうなりがちであった。しかし、確実に太陽は東北東から、北東、北の方向に向いていくばかりだ。はっとして地球儀を取り出してみるとペナンは北緯5度の辺りだが、黄道はペナンより北にある。……。なあんだ。太陽が北の空を通ることを発見して、なんだかうれしくなった。」(『プラウピナン』第十七号 一九九〇年三月発行)
太陽が北の空を通ることは日本では考えられないことである。常識を覆す結果に対する驚きと原因を解明できた喜びが「なんだかうれしくなった。」に表れている。
日本で当り前だと思っていたことが外国では全く通用しない例は多い。太陽が北の空を通る話は、これまでの自分の教育活動を振り返り、考える機会を与えてくれた。経験だけを頼みにし、型にはまった指導を繰り返し、当り前のことを当り前のこととして指導してはいなかったか。子供の言動の些細な変化を見逃したり、先入観で一定の方向からのみ見てはいなかったかなどである。
帰国後、三年がたとうとしている。今、日本の教育は、新しい学力観に立った指導をはじめとする教育改革が進められ、何よりも教師自身の変革が求められている。それに向けて努力していかなければならないと思う。児童が主体的に取り組む学習活動の展開、個に応じた指導といわれながらも、これまで通りの一斉指導の形態を続けている。その打開のために、これまでの指導を反省し、小さなことにも疑問を持ち、見直していくことが必要ではないか。太陽だって北の空を通るのだ。常識とされていることに疑いを持つことから始めてみようと思う。
(東和町立下太田小学校教諭)
忘れ得ぬ生徒たち
遠藤幸二
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教員三年目、新潟県との境にある小さな高校に転勤して初めてクラス担任になった時の生徒との心の交流について述べたいと思います。私には、担任になれたらこんなクラスにしたい、こんな生徒に育ててみたい
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