教育福島0174号(1993年(H05)10月)-048page

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図書館コーナー

本と図書館のはじめて

物事に必ず始まりがあります。今回は、図書館や本のはじめてについてご紹介してみたいと思います。

<本のはじめて>

古代人たちは、自分たち部族の歴史を、口頭でその一族に語り伝えることにより、情報を残すという作業を行っていましたが、情報量が増え、人間社会が発展するに従い、その記憶を助ける、情報を記録するという手段が生まれてきました。縄を結んだり、石や貝に記号を刻んだりというのがそうです。

その後、記録するための書材もいろいろな形で工夫がなされていきます。英語のPaperが、古代エジプトで書材として使われていたパピルスからきていることはご承知のとおりですが、この他にも、紙が発明される以前は、羊皮や甲骨、竹、白絹、粘土版などが書材として使われていました。

こうした情報を記録・保存するという手段が生まれた時こそが、現在とは形態も材料も違いますが、本のはじまりといえるのではないかと思います。

<紙のはじめて>

しかしこのような物では、大量の文字を書いたり、持ち運ぶのには大変不便であり、この不便さを取り除いたのが紙であったわけです。

紙といえば、一〇五年、後漢の時代、宮中の調度品などを扱う役所の長官であった。"蔡倫"が、樹皮や麻などを原料に作ったとされていますが、「後漢書」の中に、既に一〇二年には地方からの献上品を<紙・墨のみ>としている記載があることや、前漢時代の遺跡から紙が発見されていることから、蔡倫は、優れた紙の改良者であったと考えられます。

こうして作られた紙は、シルクロードを経由し、ヨーロッパヘと入り、一四五〇年、グーテンベルクの活版印刷の発明と結びつき、本を一般大衆のものとしていきました。

<日本では?>

日本への紙の伝来は六一〇年のことで、高句麗の僧"曇徴"が墨や筆の製法とともに伝えたといわれています。そして日本では、楮・雁皮・三椏などを用いた、独特の手漉き和紙製法を完成させていきます。

さて本の方ですが、現在存在する最古の書物といえば、聖徳太子(五七四〜六二二)の自筆本といわれる『法華義疏』とされています。この当時、日本での書物といえば書写によるものであり、また写経に限られていました。白鳳時代の六七四年、明日香村(奈良)の川原寺で「一切経」を写経したのがはじめてといわれています。

さらに印刷物となりますと、開版と完成が判明している物としては、七七〇年の『百万塔陀羅尼経』(法隆寺他保存)で、これは、世界最古の印刷物でもあります。

このように、出版の歴史もたいへん古いものがあるわけですが、当初は寺院などを中心に行われ、いわば読書も特権階級のものでした。室町時代になると、町人階級の台頭により小規模な出版業者も現れるようになりましたが、一般的に成立したのは江戸寛永年間(一六二四〜四四)といわれています。また享保元年(一七一六)には、本屋仲間と呼ばれる団体も公認され、商品としての本の売買が確立していきました。ちなみに、日本最初の雑誌としては、慶応三年(一八六七)に柳河春三という人が創刊した『西洋雑誌』とされています。

<図書館のはじめて>

情報を記録すれば、それを保管しておく場所が必要となります。さて図書館のはじめてですが、アッシリア帝国のアッシュールバニパル王(在位:紀元前六六八〜六二七)の図書館が世界最古といわれます。王宮跡が、一八五〇年イギリスの考古学者によって発見され、粘土版の解読により図書館があったことが明らかになりました。資料は粘土版で、商取引や宗教関係の記録、英雄物語などが書かれていました。公共図書館としては、ローマの政治家アシニウス・ポリオが、紀元前三九年に、戦利品として持ち帰った図書をアウエンティヌスの丘に建てた図書館で一般公開したのが最初とされています。

日本では、七〇一年の大宝律令によって定められた図書寮(ずしりょう:現宮内庁書陵部)が最も古く、公共図書館としては、明治五年、文部省により湯島聖堂に設けられた書籍館(しょじゃくかん:昭和二十三年国立国会図書館に統合)が最近とされています。

 

 

 


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