教育福島0175号(1993年(H05)11月)-025page
とも言える名句である。読めば読むほど妙を得た言葉であると思う。わたしは、いつもこれを音楽室の前面に掲示して目標にしている。
今後も、より美しい音楽を求めて全校生と職員の力を合わせ、授業の発展活動である「楽しい全校音楽集会」を定例化し、音楽の生活化の推進に力を注いでいきたいと思うこの頃である。
(下郷町立旭田小学校教諭)
遊戯について
高久眞隆
書家をしている叔父から「遊戯」と書かれた書が届けられた。裏面には、『何ごとにもとらわれない自由な境地にあってなされる活動』と記されてあった。師でもある叔父の小生へ対する諭しでもあろう。
今年は天明以来の大凶作であるという。国上山の五合庵主、良寛謂く。「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
何と「遊戯」に富んだ言葉ではないか。農村に住む小生にとって今年の大凶作は他人事ではいられない。しかし、この庵の主人の文言を弓用してなぐさめるまでもなく、隣り農民が言うには、「お天道様と喧嘩したってはじまんねえもんない。」
意外にも小生の心配をよそにいたって淡々としたものである。ここでまた一つ「遊戯」に富んだ言葉を見つけた思いがした。
最近、お遊戯(ゆうぎ)という言葉をあまり耳にしなくなったような気がしてならない。だれが命名したのであろうか妙を得ていると感心させられる。運動会での低学年でのダンス(おゆうぎ)を思い浮かべてみると、他の子どもと合っていようがいまいが、一生懸命お遊戯しているのである。お母さんの顔を見つけては、手を振り振りお遊戯を楽しんでいるのである。お遊戯(ゆうぎ)の中に「遊戯(ゆげ)」を見い出したような気がした。
五合庵主がたどり着いた心境も、多分このようなものであったに違いないと確信できたような気がした。いつの間に遊び戯れることを忘れてしまっている自分に気づき、今さらながら「遊戯」を生きる哲学とした良寛への親しみとその大きさをつくづくと思うものである。「遊於娑婆世界」
これは良寛がたどりついた世界観であると言われている。しからば、小生も教員として「遊於学校教育」を目指したいものである。
文書処理に追われている毎日を嘆きこそすれ楽しんでいない自分がそこにあった。学校教育の校務には必ず子どもが存在していることを忘れてしまっている自分があった。
文書処理を楽しみ、現職教育を楽しみ、教材研究を楽しみ、職員会を楽しむ自分が来るのであろうか。はたまた遊戯に生きる自分が来るのであろうか。
そんなことを考えながら「遊戯」の書を見つめる回数が増えてきた今日この頃である。
(鮫川村立西野小学校教頭)
出会い
根本昭彦
もし自分が教員になっていなかったら……。今、悩みを打ちあけ合ったり、励まし合ったりしてがんばっている仲間とつきあっているだろうか。今、自分のまわりにいる人たちは、偶然のめぐりあわせによって出会った人たちばかりです。
私は教育実習で出会った生徒たちに深い感銘を受け教師になりました。それは出会ったばかりの私を心配してくれ、「先生、来年は本当の先生になれるといいね。」と励ましてくれたこと。その一言がうれしくて「よし、教師になろう。」と決心しました。
翌年、私は新採用教員として教壇に立つことができました。しかし、何をやろうとしても思うように生徒を動かすことができませんでした。また、教師は教科を教え、部活動をやればそれでいいと思っていた私にとって、校務分掌、その他の事務など、どう処理するのかわかりませんでした。すると、まわりの先生方が親切に一つ一つ教えて下さいまし