教育福島0175号(1993年(H05)11月)-034page
もとり続け永久保存につとめております。
福島県小型映画連盟
理事長 羽田仲男
小型映画とは、フイルムの巾を基準に決めております。すなわち映画館で皆さんが見ている映画のフイルムの巾は三十五ミリです。それよりも小さいもの、十六ミリ、八ミリの映画を総称して小型映画といっております。しかし十六ミリは経費が多く掛かるので、普通のアマチュアには手が出ません、そこで考えられたのが、十六ミリを半分にしたフイルム、すなわち八ミリ映画が一般に普及したのです。
昭和二十年八月の敗戦、進駐軍が、続々と日本各地に配嘱されました。その中でアメリカ兵が、縦型の変なカメラでジイジイと音をたてて撮っていました。日本人は食う事が精一杯で、とてもカメラまでは気が届ませんでした。それが日本も徐々に復興し始め、アメリカ兵が飲み代に放出したのが八ミリカメラでした。
以来カメラ好きの日本人に、この八ミリカメラがいち早く普及し、間もなくエルモから国産の八ミリが売り出され、全国に普及したのでした。その内に現像の方も、国産、輸入ものを問わず日本で出来るようになりました。ただ当時は画だけで音はついていないサイレントでした。次第にテープレコーダーも普及し始め、八ミリとレコーダーの併用によりトーキーとなって来ました。
ここまで進歩して来ると、自分一人でこつこつやっていては技術的に追い付けない、そこで、各地に八ミリクラブ又はシネクラブが誕生しました。
技術の向上と共に、現在では各種のボランティア、地方行政への協力等も出来るようになりました。
さて、昭和五十二年七月十七日に
福島八ミリクラブ
郡山シネクラブ
会津シネクラブ
いわき八ミリクラブ
本宮八ミリクラブ
以上の五クラブで、福島県のアマチュアによる映画の発展のため、連合体を作ろうと話し合いがまとまり、福島県小型映画連盟が発足しました、以来現在まで十七年間続いております。
映画の発展のため、種々の事業を行っておりますが、その内のメインとして福島県シネコンテストがあります。このコンテストは福島県知事から最優秀賞を戴いております。第一一昭和三十九年)から第十三回までは郡山シネクラブが主催で行われておりましたが、昭和五十二年に県連盟が発足したので、十四回コンテスト以後は県連盟で主催することになり、今年で通算三十回を数えることになりました。
映画の内容も円熟し、機材も充実し十六ミリ映画に負けない程に発展して来ました。
しかし最近になって、大きな転機がまいりました。ご存知のようにビデオカメラの普及です。ビデオカメラをテレビで見るだけでなく、映画と同じくスクリーンに映す機械も出来て来ました。ビデオは現像することなく、すぐに見られます。それにテープが安い、フィルム一本(三分)で三5四千円のところが、テープなら一本(二時間)で千円前後です。画質云々よりも、この便利さと安さが、これからの映像の主役になると思われます。それに8ミリ映画の機材が全部製造中止になってしまいました。
今後は小型映画連盟も名称は別として、ビデオを主に移行せざるをえない現状です。
福島県高等学校文化連盟
理事長 久保田慎一
福島県高等学校文化連盟(高文連・三浦賢(会長)は、県内の高等学校および養護教育諸学校高等部の文化活動の充実・発展を目的として、昭和六十二年に発足しました。県内全ての高校生九万人が加入しており、次の十九専門部に分かれて活動を展開しています。
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