教育福島0176号(1994年(H06)01月)-023page

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随想

 

日々の想い

 

ずいそう

 

ずいそう

 

心に残る生徒たち

 

斧田好武

 

ありました。そんな中で、教員ならではの強く心に残る出来事がありました。

 

教員になって二十五年が過ぎようとしています。この間、多くの子どもたちと学校という環境の下で、いろいろな出会いがありました。そんな中で、教員ならではの強く心に残る出来事がありました。

嬉しかったことでは、結婚休暇に入る前日に学級の子どもたち全員が「先生おめでとう」と言って山吹、つつじ、菜種などの花をプレゼントしてくれたことです。また、翌年の長男誕生に際しては、おしめを届けてくれたことです。聞けば、全員が家から布を持ち寄り、放課後に女子生徒が手分けして縫ったとのことです。真心のこもった手作りの贈り物は、何にも替えがたい嬉しいものでした。

考えさせられたことでは、学習遅進児への対応でした。A子は、普通児のように行動できず、学習についていけない状態でした。家庭的にも恵まれませんでした。良い面は、働くことを苦にしない、幼児や動物の面倒見が良い、漫画や折り紙を好む、と言ったことでした。感受性のするどい子でしたから、自分を冷遇する者と親切にしてくれるものへの強い思いが、この子の日記にはいつも記されておりました。

三年間担任して、この子に対する精神的な援助や知的な援助は適切であっただろうか、そんなことを考えると教育という責任の重さを痛感させられます。せめてもの救いは、十数年の間、かかさず年賀状のやりとりをし、近況を知ることができたということでした。また、結婚して二年目に主人と子どもと一緒に私の家を訪ねて来ました。末永く幸せであってほしいと願うばかりです。

苦しかったことでは、学校全体が校内暴力の渦中にあり、学級の生徒も巻き込まれ、重苦しい異様な中での授業が数ヵ月も続いたことです。学校としては、悩みや不満の調査をしたり学級会、個別面談、家庭訪問、懇談会等を行い、生徒理解に努めるとともに正しいことが通じるような学校、学級作りに日夜励みました。

当時の子の結婚式に招待されるたび、校内暴力のことが頭をよぎって胸が痛みます。当事者だった子から「恩師の挨拶をお願いします。」と言われたときは、一人前に成長した喜びと何も聞き入れずに行動したその子の姿が交錯し、複雑な心境でした。

子どもにとって教師から受ける影響は、多大なものがあります。思い出を大切に、反省を生かし、心して教育にあたらねばと考える今日この頃です。

(玉川村立玉川第一小学校教頭)

 

教職と子育ての問で

 

安斎美輝

 

とも多い。子どもは、親の思い通りには動いてくれないことを痛感している。

 

自分の子どもが四歳になり、子育ても少し楽になったな、と思う間もなく、返事をしなくなったり、言うことを聞かなくなったりして、私自身いらいらすることも多い。子どもは、親の思い通りには動いてくれないことを痛感している。

最近、読んだ新聞に、教員をしていた方が、人の子を預かって自分の子どもの面倒を見れないのは……と思い、四年ほど勤めた教職をやめて家庭に入り、子どもの手が離れた十年後に教職に戻った(講師なのか教諭なのかはわからない。)、という記事が載っていた。自分の子どもを育てて教職に戻ったところ、生徒に対

 

 

 


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