教育福島0176号(1994年(H06)01月)-025page
念仏踊」、このすばらしい伝承芸能をいつまでも残したいものである。
(いわき市立湯本第三小学校教諭)
生徒たちと接して
一條喜代子
私が本校に新採用教員として着任した時、一番気にかかったことは、部活動のことです。音楽の教師なので、当然合唱部か吹奏楽部のどちらかを受け持つだろうと、期待と不安でいっぱいでした。
しかし音楽に関する部は一つも無く、私は残念と同時にホッとした面もありました。それは何に対してもそうですが、指導力を問われるわけで、ピアノしか知らずに生きてきた私にとって、いくら音楽の教師に採用されたとはいえ、どう教えてよいのか全く見当がつかなかったからです。だけど、最初からこんな逃げ腰でよいのだろうかと考えていた時、初任者研修の指導の先生から、「臨時の合唱部を結成したらどうですか。今年始めなければ、やらずに終わってしまいますよ。」とアドバイスを受け、悩んでいるより精一杯やってみようと決心し、まずは部員集めから始まりました。どうせやるなら混声合唱でと考えていましたので、男子を集めるのに大変苦労しました。本当に合唱ができるのだろうか、と何度思ったかわかりません。しかし中には、意欲のある生徒がいて、何人か他の生徒を誘ってくれるなど、大変協力的な姿を見せられ、私も次第に意欲がわいてきました。
臨時の合唱部の活動と本来の部活との掛け持ちなので、練習時間は、主に朝と昼でした。早起きの苦手な私にとって、早朝練習はとてもつらいものでしたが、そんな私の気の緩みをいましめるかの様に、生徒たちは熱心に取り組んでくれました。
しかし、最初から最後まで熱心だったわけではありません。中には途中で断念していく生徒も、少なくありませんでした。
この様な状態ではありましたが、必ず報われるものがあるはずと、最後の最後まで希望を捨てませんでした。結果は、コンクールで入賞はできませんでした。でも、それ以上にすばらしいものを、生徒から学ぶことができました。それは、ある生徒の「入賞はできなかったが、合唱を続けたことへコンクールに参加し、精一杯歌えたことが本当に良かったと思う。」という言葉です。この言葉に、私も、そして殆どの生徒が感動し一緒に感涙にむせびました。
私はこの時、心から、合唱をやって良かったと、そしてつらい時もあったからこそ、なおさら心にしみたのだと思いました。
私は、生徒がここまでできるとは想像もしていませんでした。普段は見られない生徒の可能性が、どれだけ大きいものか発見でき、また新たな希望がわいてきました。
(大越町立大越中学校教諭)
二つの耳
佐藤正敏
今までの私は、生徒を見る時に、相手の真実を見きわめるということより、感情が先走って、熱心な教師に共通する一本気というか、ゆとりをもって、いろいろな角度から考え直してみることができなかったように思える。「熱心」というと美徳のように聞こえるが、現象面だけを見て思わずカッとなってしまい、生徒の真実を見誤ることが多かったように思える。
中学三年間私のクラスで野球の好きなA君は、高校でも野球を続ける意志が強かったので推薦で入学した。夏の大会でA君の高校の試合があると聞いて応援に出かけて行ったが、彼の姿がない。友達のB君にA君のことを尋ねると「先生、A君は野球部をやめて、陸上部に入部したよ。」
という。私は急に腹が立ってきた。三年間、叱る時には本気で叱ってきた。だが、本当に生徒たちのためにすべてを忘れて打ち込んだと信じている私である。その私に一言の相談もなくやめてしまって何という奴だ。私は感情をおさえることができずに怒りの言葉をはいてしまった。それを聞いてB君は「先生の考え、間違いだと思いま