教育福島0176号(1994年(H06)01月)-026page

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す。」と言う。今度はB君に怒りを表わしてしまった。するとB君は「だって先生、A君は野球部をやめる日、みんなが帰ってしまった校庭で泣いていたんです。『B君、僕はどうしても佐藤先生にだけは相談してやめたかったけど、先生の顔を見たら泣けてしまいそうで、先生のところには行くことができなかった』といって、日が暮れるまで泣いていたんです。」と言った。私はそんな辛い気持ちがあったのも知らず腹を立て、すまない気持ちでいっぱいになり、こみあげてくるものをとめることができなかった。

最初になぜ私は腹を立てたか。それは担任でなくなってもA君たちのことを思い、愛していたからだ。しかし、愛は価値あることのように思えるが相手を「わかってやる」という裏付けがないと簡単に「憎」に変わってしまう。「こちらは、こんなに熱心に指導しているのに」と思えば思うほど、そういう危険性をはらんでいる。

若い頃先輩に「顔に口は一つであるのに耳は二つということは、口でいうより、よくよく聞いた上にも聞いてやりなさいということで、聞いてやるということは分かってやることだ。口よりも耳の方を大切にしはじめると『本当の子どもは、そのもうひとつ向こうにいる』ことがわかる。」と言われたことを思い出す。二つの耳を大切に頑張りたい。

(伊南村立伊南中学校教諭)

 

雪ぬけ

 

新井田大

 

ります。雪の重みで倒れはしないか、雪の締まる力で折ればしないかと……。

 

会津は雪国、冬は深い雪に埋もれます。冬になると、いつも雪に埋もれた木々が心配になります。雪の重みで倒れはしないか、雪の締まる力で折ればしないかと……。

生家が新潟県境の山村にあります。子どもの頃から山野を駆けめぐり、時折、祖父や両親と杉の苗を植え育ててきました。たまに生家に帰り、杉の林に分け入ると、植えた当時の様子が思い出とともによみがえります。若い杉はどんどん大きく育っていきます。去年までは先端に手が届いたのに、今年はもう届かなくなっている。こんなときは、子育てと同様の喜びを感じます。

しかし、杉を育てることは、なかなか大変なことです。苗を植えてから少しでも手入れを怠ると、杉はすぐに曲がったり、倒れたり、蔓に絡まれてまっすぐに伸びることができなくなったり、ときには枯れてしまうこともあります。すくすくと育つためには、下草刈りや蔓切りなどの手入れは欠かせません。

多くの手入れの中で、雪の多い会津地方で特に大切なものは、雪解けとともに、雪で倒れた杉の木を一本一本起こしてやる杉起こしです。みな同じように見える杉の苗木にも個性があるのか、同じ場所に植え、同じように手入れをしていても、毎年必ず倒れるものと、倒れずに冬を越すものがあるのは本当に不思議なことです。この手入れは、植林後約二十年必要です。人間であれば二十歳(はたち)頃になってようやく独り歩きできる年代になると同様に、杉も二十年程たってようやく手間がかからなくなります。そして、深い雪の中でも倒れたり、折れたりせず、成長のスピードは遅くなっても自力で育っていくようになります。これを私の生家のある村では「雪ぬけ」と呼んでいます。杉を育てている人たちは、この「雪ぬけ」を楽しみに毎年手入れを続けています。そして「雪ぬけ」ができるとほっと胸をなでおろすのです。

私は今、優秀な若い先生方と共に心弾む新緑、樹間を巡る心地よい風、顔をも染めるような紅葉や、吹きすさぶ地吹雪など、自然の優しさ、厳しさを肌で感ずることのできる高校に勤務しています。私たちがここで毎日やっていることは、一人一人の生徒たちが立派に「雪ぬけ」するためのささやかな手伝いをしているのかなと思っています。

いつか、大きく育った杉の林の中を、木々の息吹を感じながら歩けることを夢みている今日この頃です。

(県立南会津高等学校教諭)

 

 

 

 

 

 


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